人気なものを評価するという無駄な行為
人気なものを評価する意味って何だろう。
正直、ほとんどない。
人気というのは結果だ。
露出された
拡散された
多くの人に届いた
それだけであって、価値そのものではない。
なのに、その人気に対して
「これは良い」
「これはすごい」
と評価を重ねる。
でもそれはおかしい。
結果を理由にしているだけだからだ。
人気がある → 良い
これは説明になっていない。
ただの循環だ。
本来、評価というのは
まだ確定していないものに対して行うものだ。
埋もれているもの
誤解されているもの
構造が見えにくいもの
こういったものに対して、
価値を見つけ、言語化する。
これが評価だ。
一方で、人気なものはすでに確定している。
少なくとも、
分配としては完了している。
そこに対して評価を重ねても、
何も増えない。
あるのは、
「みんなこれいいよね」という確認だけだ。
つまりそれは評価ではない。
同意の共有だ。
では、人気なものに対して何をするべきか。
評価ではない。
解釈か、分解だ。
なぜ成立しているのか
どの構造が機能しているのか
どこが本質なのか
ここを見ることで初めて意味が生まれる。
しかし現代では、その逆が起きている。
批評と呼ばれるものの多くが、
売れた理由の分析になっている。
作品ではなく、
売れ方を解釈している。
だからズレる。
評価は中身ではなく、
結果に向けられる。
まとめる。
人気なものを評価しても意味はない。
それはすでに結果として出ているからだ。
意味があるのは、
まだ見えていないものを見えるようにすることだ。
■ 締め一行
評価は結果に向けるものではなく、未確定に向けるものだ。
