令製産資

昔は「不耕不織」という言葉があった。
耕さず、織らず、生産的な仕事をしないこと。
封建時代には、農民は田畑を耕し、布を織り、それによって社会を支えていた。一方、武士は耕すことも織ることもしなかった。

しかし、武士には武士の責任があった。
領地を守り、秩序を維持し、時には命を懸ける。
生産をしない代わりに、大きな責任を負っていたのである。

では現代はどうだろう。
生産現場に立たなくても利益を得られる仕組みは数多く存在する。
KPIを設定する。
マネタイズを設計する。
アルゴリズムを最適化する。
数字を管理する。
もちろん、それ自体に価値はある。
組織運営や資金配分は社会に必要な機能だからだ。

しかし、本来そこにあったはずの「判断の責任」や「失敗の責任」まで、仕組みに分散されていないだろうか。
データがそう言った。
KPIがそう示した。
市場がそう評価した。

気づけば意思決定の主体は、人ではなく指標になっている。
そこで思いついた言葉がある。

令製産資
「令して、製し、産み、資を得る。」
自ら耕さず、自ら織らず、自ら作らずとも、
命令や制度、評価指標を設計することで、生産と資本を動かす構造である。

これは資本主義への批判ではない。
むしろ、現代社会は「物を作る力」だけでなく、「ルールを作る力」が価値を生む時代になったということだ。

だからこそ問い直したい。
あなたが日々磨いているのは、
作品だろうか。
それとも、
数字を動かす技術だろうか。
その二つは、似ているようで全く違う。
そして、もし後者だけが目的になったとき、
私たちは「令製産資」の時代を生きているのかもしれない。

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