憂過備非 ― 備え過ぎれば動けない

「備えあれば憂いなし」
昔から言われる教えである。
もちろん、その通りだ。
準備をしていれば、突然の出来事にも対応しやすい。
しかし現代社会では、この言葉が少し違う形で機能しているように思う。

リスクを考える。
すると次のリスクが見える。
さらにそのリスクへの対策を考える。
その対策にも新たなリスクが生まれる。
そして、
「まだ準備が足りない」
という不安だけが積み上がっていく。

本来あるべき姿は、
憂い

備え

行動
である。
ところが、
憂い

備え

さらなる憂い

さらなる備え
という無限ループに陥ることがある。
その結果、
最も重要な「行動」が消えてしまう。

問題は、備えではない。
問題は、
憂いのターゲティングができていないこと
である。
何を守りたいのか。
何が本当に致命傷なのか。
それが定まっていないから、
すべての可能性に備えようとしてしまう。

企業でも同じだ。
市場調査。
競合分析。
法務確認。
リスク分析。
コンプライアンス。
収支予測。
すべて重要である。
しかし、それらが目的になった瞬間、
「実験してみよう」
という一歩が失われる。

備えは手段であって目的ではない。
憂いを減らすためのものが、
新たな憂いを生み出してしまえば本末転倒である。

そこで私は、この状態を
「憂過備非(ゆうかびひ)」
と呼びたい。
憂いが過剰になると、備えは本来の役割を失い、かえって行動を妨げること。
「備えあれば憂いなし」
その前に、
何を憂うべきかを定めよ。
そうすれば、備えもまた自然と決まるのである。

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