MBAという学問が、なぜ「マーケティング商材」を正当化してしまったのか
MBAという学問は、本来
「これをやれば成功する」という実行マニュアルを教えるものではなかった。
それにもかかわらず、今では
「MBA的」「マーケ的」という言葉が、
実行を煽り、失敗を自己責任に押し付ける
商材屋的言説の正当化に使われているように見える。
問題はMBAそのものではない。
どこで、何が、どう歪んだのか。
その構造を整理しておきたい。
MBAは本来「構造理解」の学問だった
元来のMBAは、
市場や組織がどういう構造で動いているか
どこにボトルネックがありそうか
どの前提が崩れると何が起きるか
を事後的・分析的に理解するための学問だった。
重要なのはここで、
実行は「臨床」
MBAは「研究」
という役割分担があったことだ。
現場で実行し、成功や失敗が起き、その結果を持ち帰って分析し、次の仮説を立てる。
MBAは実行を保証する学問ではなく、実行結果を解釈するための言語だった。
実行は教えるものではなかった
MBAが本来やっていたのは、
正解を出すこと
処方箋を書くこと
ではない。
できるのはせいぜい、
仮説を立てる
選択肢を並べる
リスクと前提条件を言語化する
ここまでだ。
「どれを選ぶか」
「その結果を引き受けるか」
は、経営と現場の責任だった。
どこで歪んだのか
歪みは、MBAやマーケティングが
「実務にすぐ効く」
「再現性のある成功法則」
として売られ始めた瞬間に生まれた。
仮説は「正解」に見せられ
フレームワークは「テンプレ」になり
成功事例は一般化され
失敗条件は語られなくなった
結果、
理論に基づいている
教育をしている
マーケティングを教えている
という言葉が、行為そのものの検証を免除する免罪符になった。
マーケティングと商材屋構造の接続
ここで、商材屋構造と完全に接続する。
成功事例を前面に出す
不確実性を削る
条件を曖昧にする
実行を促す
失敗は「理解不足」「努力不足」「自己責任」
この構造は、
詐欺である必要はない
嘘をつく必要もない
それでも結果的に同じ行為誘導になる。
重要なのは、これをやっている本人たちが「自分は商材屋だ」と思っていない点だ。
なぜ本人たちは正当だと思えるのか
理由は単純で、
学術語を使っている
MBAやマーケという肩書きがある
善意でやっている
教育だと思っている
行為ではなく言葉と肩書きで正当化される構造ができてしまった。
その結果、
自分は情報提供者
判断するのは相手
失敗は自己責任
という責任の非対称性が固定される。
本来、MBA的仮説が許される立場
MBA的思考を使うなら、立場は本来この2つしかない。
① 創業者、またはそれに準ずる共同経営者
仮説を立てた人間が、
決定し
実行し
結果を引き受ける
この場合、仮説は免責ではなく覚悟になる。
② 完全な外部として、経営に関与しない
分析
仮説提示
選択肢の整理
ここまでで手を引く。
「決める」のは相手。
これは学術的にも倫理的にも誠実だ。
一番ダメな立場
一番問題が起きやすいのは、
外部から入り
仮説を振りかざし
実行を促し
決定に影響し
失敗したら去る
この中途半端な位置。
理論は無傷で、現場と事業だけが傷つく。
結論
問題はMBAではない。
マーケティングでもない。
学問と実行の境界が、言葉によって曖昧にされ、責任が消えたことだ。
その歪曲の先に、
商材屋の正当化
プラットフォームの信用低下
YouTubeの収益停止
noteへの忌避
が連なっている。
最後に
MBAは免罪符ではない。
構造を理解するための言語が、実行を正当化する道具にすり替わったとき、商材屋は「教育」や「マーケ」の顔で現れる。
それを見分けるには、肩書きではなく、誰が決めて、誰が引き受けているかを見るしかない。
