MBAという学問が、なぜ「マーケティング商材」を正当化してしまったのか

MBAという学問は、本来
「これをやれば成功する」という実行マニュアルを教えるものではなかった。

それにもかかわらず、今では
「MBA的」「マーケ的」という言葉が、
実行を煽り、失敗を自己責任に押し付ける
商材屋的言説の正当化に使われているように見える。

問題はMBAそのものではない。
どこで、何が、どう歪んだのか。
その構造を整理しておきたい。


MBAは本来「構造理解」の学問だった

元来のMBAは、

  • 市場や組織がどういう構造で動いているか

  • どこにボトルネックがありそうか

  • どの前提が崩れると何が起きるか

を事後的・分析的に理解するための学問だった。

重要なのはここで、

  • 実行は「臨床」

  • MBAは「研究」

という役割分担があったことだ。

現場で実行し、成功や失敗が起き、その結果を持ち帰って分析し、次の仮説を立てる。

MBAは実行を保証する学問ではなく、実行結果を解釈するための言語だった。

実行は教えるものではなかった

MBAが本来やっていたのは、

  • 正解を出すこと

  • 処方箋を書くこと

ではない。

できるのはせいぜい、

  • 仮説を立てる

  • 選択肢を並べる

  • リスクと前提条件を言語化する

ここまでだ。

「どれを選ぶか」
「その結果を引き受けるか」
は、経営と現場の責任だった。

どこで歪んだのか

歪みは、MBAやマーケティングが

「実務にすぐ効く」
「再現性のある成功法則」

として売られ始めた瞬間に生まれた。

  • 仮説は「正解」に見せられ

  • フレームワークは「テンプレ」になり

  • 成功事例は一般化され

  • 失敗条件は語られなくなった

結果、

理論に基づいている
教育をしている
マーケティングを教えている

という言葉が、行為そのものの検証を免除する免罪符になった。

マーケティングと商材屋構造の接続

ここで、商材屋構造と完全に接続する。

  • 成功事例を前面に出す

  • 不確実性を削る

  • 条件を曖昧にする

  • 実行を促す

  • 失敗は「理解不足」「努力不足」「自己責任」

この構造は、

  • 詐欺である必要はない

  • 嘘をつく必要もない

それでも結果的に同じ行為誘導になる。

重要なのは、これをやっている本人たちが「自分は商材屋だ」と思っていない点だ。

なぜ本人たちは正当だと思えるのか

理由は単純で、

  • 学術語を使っている

  • MBAやマーケという肩書きがある

  • 善意でやっている

  • 教育だと思っている

行為ではなく言葉と肩書きで正当化される構造ができてしまった。

その結果、

自分は情報提供者
判断するのは相手
失敗は自己責任

という責任の非対称性が固定される。

本来、MBA的仮説が許される立場

MBA的思考を使うなら、立場は本来この2つしかない。

① 創業者、またはそれに準ずる共同経営者

仮説を立てた人間が、

  • 決定し

  • 実行し

  • 結果を引き受ける

この場合、仮説は免責ではなく覚悟になる。

② 完全な外部として、経営に関与しない

  • 分析

  • 仮説提示

  • 選択肢の整理

ここまでで手を引く。

「決める」のは相手。
これは学術的にも倫理的にも誠実だ。

一番ダメな立場

一番問題が起きやすいのは、

  • 外部から入り

  • 仮説を振りかざし

  • 実行を促し

  • 決定に影響し

  • 失敗したら去る

この中途半端な位置。

理論は無傷で、現場と事業だけが傷つく。

結論

問題はMBAではない。
マーケティングでもない。

学問と実行の境界が、言葉によって曖昧にされ、責任が消えたことだ。

その歪曲の先に、

  • 商材屋の正当化

  • プラットフォームの信用低下

  • YouTubeの収益停止

  • noteへの忌避

が連なっている。

最後に

MBAは免罪符ではない。
構造を理解するための言語が、実行を正当化する道具にすり替わったとき、商材屋は「教育」や「マーケ」の顔で現れる。

それを見分けるには、肩書きではなく、誰が決めて、誰が引き受けているかを見るしかない。

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