無中生有は「嘘を信じ込ませる計略」ではない──集団本能を利用する計略である

三十六計第七計「無中生有(むちゅうしょうゆう)」は、
「何もないところから、何かがあるように見せる計略」
と説明されることが多い。
確かに、それも間違いではない。
しかし、本当に重要なのは、
「なぜ人は何もないものを信じてしまうのか」
という点である。


人は「集団の注目」を重要度として認識する

街を歩いていると、
行列ができている店を見る。
SNSでは、
急に話題になった投稿が流れてくる。
事件が起きると、
野次馬が集まる。
なぜ人はそこへ向かうのだろうか。
それは、
人間の認知が
「多くの人が注目しているなら、何か重要なことがあるはずだ」
と判断するからである。

これは人間だけの性質ではない

草食動物の群れでも同じことが起きる。
一頭が走り出せば、
周囲も理由が分からないまま走り出す。
これはパニックではない。
自分が気付いていない危険を、
仲間が先に発見した可能性があるからである。
つまり、
集団の行動を情報として利用することは、
群れで生きる生物にとって合理的な生存戦略だった。
人間も同じなのである。

無中生有は、この本能を利用する

行列。
ランキング。
フォロワー数。
口コミ。
「売上No.1」
「話題の商品」
これらは、
価値そのものではない。
しかし、
人々はそこへ注目が集まっているという事実を見て、
「重要そうだ」
と無意識に判断してしまう。
つまり、
無中生有とは、
嘘を信じ込ませる計略ではない。
集団への注目を利用し、重要度そのものを構築する計略
なのである。

本能は悪ではない

ここで誤解してはいけない。
この認知は、
人間の欠陥ではない。
むしろ、
集団生活を送る上で獲得した優れた情報収集能力である。
だから完全に消すことはできない。
私自身も、
行列を見れば気になる。
検索もする。

問題は、
興味を持つことではない。
観察するべきなのは「なぜ集団は注目したのか」
重要なのは、
本能に従うことではなく、
本能が反応した瞬間に一歩引くことである。
「これは重要そうだ。」
そう感じたなら、
次に考えるべきなのは、
「なぜ人々はこれに注目しているのだろうか。」
という問いである。

本当に価値があるのか。
広告なのか。
アルゴリズムなのか。
インフルエンサーなのか。
炎上なのか。
それとも、
本当に社会的な重要性があるのか。
この視点を持てるようになると、
集団心理に流されるのではなく、
集団心理そのものを観察できるようになる。

おわりに

無中生有とは、
何もないものを作る兵法ではない。
人間が本来持っている、
「集団の注目を重要度として認識する」
という生存本能を利用する兵法である。
そして、その本能を完全に消すことはできない。
だからこそ重要なのは、
注目してしまった自分を否定することではなく、
「この集団心理は、何を起点として生まれたのか。」
と観察することである。
それが、無中生有に対する最も有効な防御なのかもしれない。

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