本は売るものではなかった

最近、出版や創作の話題を見ていると、どうしてもある言葉が前に出てくる。

「たくさん売りたい」
「売れないと出版社が困る」
「タイトル設計が重要」
「入口で読ませる工夫が必要」

もちろん、商業出版である以上、それ自体は間違っていない。

本が流通し、読者に届き、継続的に出版文化を支えるためには、売上という現実は避けて通れない。

それでも、ずっと小さな違和感が残っていた。

そもそも本って、最初から売るためのものだったのだろうか。

私は、本はまず「伝えるもの」だったと思っている。

思想を伝えるもの。
思考を残すもの。
誰かの内側にあった世界を、他者へ手渡すもの。

それは小説でも、詩でも、批評でも、研究でも変わらない。

頭の中にしか存在しなかったものを、文字という形にして外へ出す。

そして、時間を越えて、場所を越えて、別の誰かの頭の中へ移していく。

本とは、本来そういう媒体だったはずだ。

つまり本質は、商品である前に伝達の器である。

売るという行為は、その後についた流通の仕組みだと思う。

思想や物語をより遠くへ届けるために、複製し、運び、並べ、読者に届く導線を作る。

そこに出版社という存在が生まれた。

出版社の役割も、本来はとてもシンプルだったはずだ。

著者の思考を整理し、編集し、読みやすく整え、印刷し、流通に乗せる。

つまり、伝達を支える仲介者である。

その仲介に対して対価を受け取る。

それで十分だったのではないか、と私は思う。

思想そのものを「売る」のではなく、思想が届くまでの橋を架ける。

出版社とは、本来そういう存在だったのではないだろうか。

ところが今は、売るという行為が前に出すぎているように見える。

タイトルの強さ。
クリック率。
冒頭の掴み。
タグ設計。
どの市場に刺さるか。

気づけば、本の中身よりも「売り方」の話ばかりが可視化される。

それは出版の現実として必要な話ではある。

しかし、その話が前景化しすぎると、本という媒体そのものまで商品設計の言葉で語られてしまう。

小説ですら、作品論ではなくマーケティング論として語られる。

ここに、私は少し寂しさを感じる。

もちろん、売ることを否定したいわけではない。

売れなければ届かないこともある。

流通にはコストがかかる。

編集にも、印刷にも、営業にも人の手が必要だ。

だから売ることは必要だ。

ただ、それはあくまで伝えるための手段であるべきだと思う。

本は売るために存在するのではない。

まず伝えるために存在する。

思想を残し、物語を届け、他者の思考に触れるために存在する。

売ることは、その伝達を支える仕組みでしかない。

この順番が逆転したとき、本は思想の器ではなく、商品説明文の集合になってしまう。

私は、本という媒体が本来持っていた「伝える力」を、もう一度見直したいと思っている。

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