衆議一決 議論とは一致するためではない
「衆議一決」とは、多くの人が議論し、一つの結論を決めることを意味する。
一般には民主的で理想的な意思決定として語られる。
しかし、現実は本当にそうだろうか。
最悪の状態まで先延ばしされた決断
重要な問題ほど、人は簡単には決められない。
まだ様子を見よう
もう少し情報を集めよう
利害関係者の意見も聞こう
こうして時間だけが過ぎていく。
やがて修正コストは増え、選択肢は減り、
「もう今日決めないとまずい」
という段階になって初めて、多くの人が集まり議論を始める。
その衆議一決は、理想的な民主性というより、
決断を先延ばしした末の最後の儀式
なのかもしれない。
逆に重要でない案件
一方で、
社内イベントの日程
ロゴの細かな色
軽微な運用変更
など、重大ではない案件なら、多数決でも合意形成でも問題は小さい。
つまり衆議一決が機能しやすいのは、
失敗しても大きな損害にならない案件
でもある。
議論の目的は一致ではない
多くの人は、
「議論とは全員が納得するためのもの」
だと考える。
しかし、それは理想論である。
本当に重要な決断には必ず反対意見が存在する。
むしろ、
リスクを指摘する人
別案を提示する人
少数派の意見
があるからこそ、判断材料が揃う。
議論とは、
一致するためではなく、異なる意見を明らかにするためにある。
決断とは責任である
議論が終わった後、
全員が納得することはほとんどない。
それでも最後には、
「反対意見は理解した。しかし、この案で進める。」
と決断しなければならない。
それが責任である。
全員一致を待つことは責任ではない。
責任とは、
一致しないことを前提に、それでも決めることである。
議論がない組織は健全ではない
異論がない組織は、一見まとまっているように見える。
しかし実際には、
空気に従っているだけ
発言しづらいだけ
考えることをやめているだけ
かもしれない。
健全なのは全員一致ではない。
異論が存在し、それを聞いた上で決断できる状態である。
結び
衆議一決とは、多くの人が知恵を出した証とは限らない。
それは、
「もう決めるしかない」
という状況になった証かもしれない。
そして議論とは、合意形成のためではない。
一致しないことを前提に、判断材料を集めるために存在する。
決断とは、反対意見があることを知りながら、それでも進む責任なのである。
