AI時代に価値を持つのは「キャリア」ではなく、考えることをやめられなかった時間かもしれない

AIによって、異業種への参入障壁が下がっている。
プログラミングができなくてもアプリを作れる。
ゲーム開発経験がなくてもゲームを作れる。
デザイン経験がなくても形にできる。
そうなると、
「若者より、長いキャリアを持つ人の方がAI時代には有利なのではないか」
という話が出てくる。
何十年もの現場経験はAIには生成できない。
その経験をAIによって別の領域へ転用できる。
言っていることはわかる。
ただ、少し違和感がある。
経験って、本当にそこまで一様な資産なんだろうか。



「20年働いた」と「20年分考えた」は違う

同じ仕事を20年間やった二人がいたとしても、得たものが同じとは限らない。
ある出来事に遭遇して、
「こういうものだ」と覚える人もいる。
「次はこうすれば失敗しない」とノウハウにする人もいる。
「なぜこうなった?」と原因を考える人もいる。
「この構造は別の場所でも起きるのでは?」と抽象化する人もいる。
さらに、
「そもそも、なんでこんな仕組みなんだ?」
と前提そのものを疑う人もいる。
同じ現場に同じ時間いただけでも、持ち帰っているものはまったく違う。
つまり、経験はそれ自体が資産なのではなく、思考するための原材料なのかもしれない。

そもそも「考えること」でお金をもらえる人は少なかった

学校でも仕事でも、長い間評価されやすかったのは「考えること」より「覚えて再現すること」だった。
答えを覚える。
手順を覚える。
ルールを覚える。
正確に処理する。
速く処理する。
これは成果として観測しやすい。
一方、
「なんで?」
と考えている時間は成果として見えにくい。
仕事中にずっと、
「そもそもこの業務って必要なのか?」
なんて考えていたら、場合によっては、
「そんなこと考えてないで仕事しろ」
となる。
もちろん研究、企画、設計、経営など、思考そのものにお金が支払われる仕事もある。
でも、そんな立場にいる人は全体から見れば一握りだ。
多くの現場では、
覚える → 再現する → 効率化する → 管理する
だけでも立派なキャリアになる。
その先に必ず、
「十分経験したので、ここからは前提そのものを疑ってください」
というフェーズが用意されているわけではない。

それでも「なんで?」をやめられなかった人がいる

ここで妙な人がいる。
別に評価されないのに考える。
お金にもならないのに考える。
専門外なのに考える。
答えが出なくても考える。
「なんでこうなってるんだ?」
「別の方法でもいいんじゃないか?」
「そもそもの目的は何なんだ?」
「これと全然違う分野のあれ、同じ構造じゃないか?」
頼まれてもいないのに、延々考える。
従来の社会では、これにはほとんど市場価値がなかった。
むしろ効率だけ考えれば、やめた方がいい。
考える時間があるなら知識を覚えた方がいい。
資格を取った方がいい。
実務経験を積んだ方がいい。
目の前の仕事を速く終わらせた方がいい。
それでも考えることをやめられなかった。
ある意味、数奇者である。

AIは、その「無駄だった時間」に出力装置をつけた

ここへAIが現れた。
今までなら、
「面白いと思うけど、プログラミングできない」
「こういうゲームを考えたけど、Unityなんて触ったことがない」
「こういう制度の方が合理的だと思うけど、専門家ではない」
「こんな曲があったら面白いけど、楽器が弾けない」
で終わっていたものに、
AIが、
「調べられます」
「コードを書けます」
「試作品を作れます」
「シミュレーションできます」
「文章にできます」
「音にできます」
と言い始めた。
すると突然、
考えられる × 作れない
だった人が、
考えられる × AIで作れる
になる。
ここで初めて、社会からほとんど観測されていなかった「考えてきた時間」が外へ出てくる。

これはキャリアではない

だから、これを単純に、
「ベテランの長いキャリアがAI時代に活きる」
と説明すると、少し違う気がする。
もちろん実務経験には大きな価値がある。
現場にいなければ知り得ない制約、失敗、身体知、人間関係、例外。
それらは重要な思考材料になる。
しかし、現場にいなければ思考経験を積めないわけではない。
ゲームを作ったことがなくても、20年間ゲームについて考えていた人はいる。
経済学者でなくても、ずっと経済について疑問を持っていた人はいる。
作曲家でなくても、何千曲も聴きながら音楽について考え続けた人はいる。
履歴書には何も残らない。
職歴にもならない。
資格にもならない。
それでも頭の中には、
仮説、違和感、失敗、問い、構造、比較、価値観。
大量の何かが積み上がっている。
これは「キャリア」というより、
思考履歴
と呼んだ方が近いのかもしれない。

「何年やったか」から「何年考えたか」へ

これまで社会は、
「この仕事を何年やりましたか?」
を経験の尺度として使ってきた。
それは合理的だった。
頭の中で何を考えてきたかなんて観測できなかったからだ。
ところがAIによって、その思考が作品やサービスやコードや文章として、突然外部化できるようになった。
すると今まで見えなかった差が見えてくる。
20年間働いた人と、
20年間考え続けた人は、
同じではない。
そして後者は必ずしも立派なキャリアを持っているとは限らない。
むしろ、
考えても評価されず、
考えても金にならず、
考えるなら覚えろと言われ、
それでも「なんで?」を捨てられなかった。
そんな人かもしれない。
AI時代に突然価値を持ち始めたのは、
華々しいキャリアではなく、
これまで何の経歴にもカウントされなかった、考え続けた時間なのかもしれない。
そしてそれを持っているのは、おそらく「優秀な人」というより、
考えることをやめられなかった数奇者たちなのだ。

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