差別化は異質ではない
「差別化が大事だ。」
クリエイティブの世界ではよく聞く言葉だ。
しかし、私はこの言葉に違和感を覚える。
差別化とは何か。
それは既に存在する評価軸を前提として、その中で少しだけ枝分かれすることではないだろうか。
例えば、
売れ線にジャズを混ぜる
AIイラストにグリッチを加える
流行曲に民族楽器を足す
これらは確かに差別化である。
しかし、それは「評価軸から外れた」のではない。
評価軸の上で少し横に移動しただけだ。
つまり、
差別化とは、評価軸を軸として分岐しているだけである。
だから差別化は異質ではない。
本当に異質なものは、そもそも既存の評価軸では測れない。
評価する言葉すら存在しない。
歴史を振り返れば、新しい表現は最初から「差別化」として認識されたわけではない。
「意味がわからない」
「そんなものは作品ではない」
「誰が評価するんだ」
そう扱われてきた。
後になって評価軸そのものが更新され、初めて価値が認識されたのである。
だから「どう差別化するか」を考えている限り、
実は既存のゲームから逃げてはいない。
ゲームのルールを受け入れ、その中で有利な場所を探しているだけだ。
本当に新しいものを生み出したいなら、
考えるべきは
「どう差別化するか」ではない。
「なぜその評価軸なのか」である。
異質とは、評価軸から少し外れることではない。
評価軸そのものを揺さぶることである。
