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言霊

「ことば」は、いつから「ことば」になるのだろう。
感情の奥底で青白く燃えるものを、誰が見つけてくれるのだろう。

この物語は、
うまく言葉にできない一人の子どもの内面から始まる。

周囲の大人たちは、ざわざわと何かを言っている。
検査、発達、支援、将来──。
けれど彼にとって、それらはただ「音」でしかない。
頭の中には、整然と並べた色と形の感覚。
でも心の奥には、言葉にならない熱がゆらめいている。

やがて、彼のまわりの世界は、少しずつその「火」に気づき始める。
“うまくいえないきもち”を読み解こうとする人、
“せかいのよみかた”を手渡してくれる人、
そして――
「ぼくは、ここにいる」と伝えようとする彼自身。

これは、
ことばになる前の「ことば」たちの物語。
そして、すべての“存在”に、言霊が宿るまでの記録である。
#創作大賞2025


【第1章 ことばのまえにあるもの】

はるになった。
おようふくが うすくなって、くつも すこし かわって、
それから、ほいくえんが はじまった。

おかあさんと てをつないで、はじめて きたとき、
たくさんの こえが あった。
たくさんの あしおとと、わらいごえ。
みんな、しってるどうしみたいに しゃべってた。

ぼくは、なにも いわなかった。

ことばが なかったんじゃない。
あたまのなかには、いろんな おとや いろや、
「これが なにか」っていう かんがえが、ずっと うごいていた。

でも、それを くちから だすと、
なんかちがう──って、いつも おもう。

「おはよう」って いわれると、
「おはよう」って いうけど、
それが ほんとうに じぶんのきもちか、わからなくなる。

ともだちが 「みて!」って ブロックをみせてきたときも、
「すごいね」って いえばいいって、しってるけど、
そのとき ぼくが おもっていたのは、
そのブロックの くみあわせの しかたが
なんで そうなったのか──っていう、べつの ことだった。

ことばは、はやすぎる。
せかいを みてるあいだに、
もう つぎの ことばが くる。

だから ぼくは、だまってた。

みんなが 「しずかだね」って いうけど、
ぼくのなかは しずかじゃない。
いろんな きもちが ならんで、
それを ひとつずつ ならべてるところだった。

──ことばになる、まえの じかん。

それが ぼくには、
いちばん たいせつな ものだった。


【第2章 おとなたちがざわざわする】

きょうも ぼくは おなじように ブロックを つんでいた。
まいにち ちがうかたちだけど、ぼくのなかでは、
どれも ちゃんと つづいている。

でも、おとなたちは それを みていた。
ブロックを みていたんじゃなくて──
ぼくを みていた。

「また 一人で遊んでる」
「話しかけても 返事がない」
「やっぱり 専門に……」

ことばは ちいさなこえだったけど、
ぼくのなかで ひびいた。

ぼくは きいてないふりを した。
でも、あたまのなかでは そのことばを ぐるぐるしていた。

“せんもん”って、なに?
“やっぱり”って、なに?
ぼくの なにが いけないの?

おかあさんも せんせいと なにかを はなしていた。
ぼくのことを はなしていた。
でも、それは ぼくのしらない ことばで はなされていた。

「診断があれば支援につながりやすい」
「グレーゾーンかもしれません」
「療育、考えてみても……」

それは まるで、ぼくを どこかに いれようとしているみたいだった。

ことばが うえから ふってきて、
ぼくのなかに はいってきて、
すこしずつ、なにかが くもっていった。

ぼくは べつに、こまってなんか いなかった。
ブロックのなかに じぶんの せかいがあったし、
それを だれにも こわされたくなかった。

でも、まわりが こまってるとき、
「こまってないぼく」は、いけないことみたいだった。

「この子、自分のこと話せてるのかな?」
「言いたいこと、あるのかな?」

──あるよ。
あるけど、**“ことばにすると、ちがっちゃう”**だけなんだ。

だから ぼくは、
いわないでいることを えらんでいた。

でも、だまってると──
ますます、おとなたちが ざわざわする。
しずかに ふるえてるみたいに、
まわりだけが、うるさくなる。

そして、ぼくのなかのことは、
ぼくよりさきに、だれかのことばで きめられていく。

それが、すこし──こわかった。


【第3章 うまくいえない きもち】

「これ、なあに?」

せんせいが てをさして、ぼくに きいた。
さっき つくった ブロックのかたち。
ぼくは、それが なんなのかを、ずっと かんがえていた。
かたちと、いろと、ならびかたと、
そこに どんな ものが あるか──

でも、まだ なまえが なかった。

なにか いいたかった。
ことばが、のどの うしろまで きていた。
でも、それを だしたとたん、
せかいが ちがってしまう きがした。

「うーん……」とだけ いった。
せんせいは ちょっとだけ まって、
「そっか」といって にっこりして、
べつのこに いった。

そのとき、ぼくのなかで──
なにかが すこし、しずんだ。

おかあさんに きかれたときも そうだった。

「きょう、たのしかった?」
「なにしてあそんだの?」
「だれと あそんだの?」

たのしかったよ、ほんとうは。
でも、それを うまく えらべなかった。
どのことばなら、このきもちが ちゃんと つたわるかが、わからなかった。

だから、だまって くつを ぬいだ。
おかあさんは、すこしだけ さびしそうな かおをした。

ぼくは いえないことが、ふえていった。
いえなかったことばが、ぼくのなかで たまっていった。

ことばにしたら ちがう。
でも、ことばにしなかったら だれにも わからない。
そのあいだで、ぼくは しずかに ゆれていた。

あるひ、
だれかに 「なにがすき?」って きかれたとき、
ぼくは 「なにがすき……だっけ……」って つぶやいた。

そのときの じぶんのこえが、
ちょっとだけ、ないたり、わらったり してるみたいで、
ふしぎな きもちに なった。

──うまく いえなかっただけなのに、
それが、じぶんのなかでは “なかったこと”にされていく
そんなかんじが、ちょっとだけ、こわかった。


【第4章 せかいのよみかた】

おそとは はれていた。
でも、ぼくには、
くもが なにかを かくしてるように みえた。

せんせいは、「きょうは いいてんきだね」といったけど、
ぼくは それを まだ きめられなかった。
「いい」かどうかは、まだ わからない。
ぼくのなかでは、くうきが すこし ちくちくしてた。

ともだちは、
「すなば いこう!」「これ つくろうよ!」って いった。

でも、ぼくは すこし うしろにいた。
そのこえが うれしいのか、にがてなのか、
それも まだ はんぶんだった。

そのかわりに、
ぼくは すなばの すみっこで、
すなを そっと にぎっては、ひらいた。
そのとき、すこしだけ──
なにかが しずかに わらったような きがした。

せかいは、いつも なにかを いっている。
でも、それは ことばじゃない。
いろとか、うごきとか、まなざしとか、ふいんきとか──
そういうもので いっぱいだ。

それを ぼくは、
すこしずつ あつめてる。
でも、それを すぐに ことばに できない。

ブロックを つくるとき、
「なにをつくってるの?」って きかれる。

ぼくは、
それが まだ「なに」か、しらない。

ただ、そのかたちが、いまのきもちに いちばんちかいから、
そこに つめこんでるだけだ。

あるひ、
せんせいが いった。

「○○くんの つくるものって、なんだか ことばみたいだね」

そのとき、
ぼくのなかで なにかが とまった。

ことばみたい──?

ぼくは、なにも いえなかった。
でも、そのときの せんせいのこえは、
すこし しずかで、やさしかった。

そのひ、ぼくは いつもより おそくまで、
ブロックを ならべていた。
ひとつひとつ、ならべて、
いつか ことばになるかもしれない じぶんのきもちを、そこに。


【第5章 ことばになるまでの あいだ】

「なんでもいいんだよ。なんでもしゃべってごらん?」

せんせいが、わらって いった。
やさしいこえだった。
でも、ぼくは なにも いえなかった。

なんでも──って、なに?

“なんでも”っていうことばが、いちばん むずかしい。
そのなかに、なにを いれたらいいのか、わからなかった。

ほかのこたちは、
すぐに わらったり、ないたり、いったり、けんかしたりする。

でも、ぼくは ことばのまえで、
いつも とまってしまう。

せかいに ふれて、
なにかを かんじて、
ことばに しようとして──
そのあいだに、もう おわってしまう。

あるとき、
ブロックで とくべつなかたちを つくった。

それは、ぼくのなかで
「かなしかったけど、だいじなこと」っていう きもちを あらわしたかった。

でも、せんせいは それをみて、
「おうち?」って いった。

ぼくは、うなずいた。
ちがったけど──
ちがうっていったら、なにが ちがうのか、
うまくいえなかったから。

おかあさんは、
よく しんぱいそうに ぼくを みている。

「この子、ほんとうはなにをかんがえてるのかな」
「ことばに ならないから、よく わからないよね」

──でも、ぼくは かんがえてるよ。

ちゃんと、ある。
まだ ことばにならないだけで、ちゃんと ある。

だけど、まってもらえないことが ふえていった。
「さきに いくよ」
「またこんど、きかせてね」
「じかんがないから」

ことばになるまえの じかんは、
“なかったこと”みたいに きえていく。

だから、ぼくは ときどき、
おなじ ブロックを なんども くみなおす。
いちど くずして、また つくる。
くちじゃなくて、てで、なにかを はなすみたいに。

それが、ぼくのなかで──
「ことばになるまでの あいだ」に あるものだった。


【第6章 ぼくは、ここにいる】

おかあさんと せんせいが はなしている。
ちいさなこえ。
でも、ぼくには きこえる。

「やっぱり、なにかしらあるのかもしれませんね」
「グレーゾーン……でしょうか」
「ことばのやりとりが、やっぱり むずかしいというか……」

そのとき、ぼくは てを とめた。
ブロックを おいて、すこしだけ みあげた。

おかあさんの せなかが すこし つかれていた。
なにかを さがしてるような こえだった。

せんせいは わるくない。
でも、せかいが ちょっと にごっていた。

「でも、この子……
 なにを かんがえてるのか、
 ほんとうは あるのかどうか……」

そのことばで、
ぼくのなかに、
ずっと まえから あったことが、
すこしだけ うごいた。

──あるよ。

ほんとうは、
なんども いいたかった。
でも、どういったらいいのか、
どこから はじめればいいのか、
そのことばを さがしてるうちに、
いつも おわってしまった。

でも、きょうは すこしだけ ちがった。

「……ぼく、ちゃんと かんがえてるよ」

ぼくのこえに、
おかあさんが ふりむいた。
せんせいも おどろいたように、ぼくを みた。

でも、ぼくは そのまま こたえなかった。
もう、ことばは いった。
それが すべてだった。

なにかが おちついた。
なにかが とどいた。
ことばになった そのひとことが、
ぼくのなかで あたたかく なった。

それだけで──
ぼくは、ここにいる。


【あとがきにかえて──ことばになるまでの時間】

この物語は、ある男の子の「言葉にならなかった思い」を描いたものです。
けれど本当は、それは一人の子どもだけの話ではありません。

誰かに声をかけられて、返事ができなかったこと。
楽しかったことをうまく言えなくて、笑ってごまかしたこと。
「なんでもいいよ」と言われて、何も言えなくなったこと。
そんな経験は、誰にでもあると思います。

でもそれが日常のすべてになっている子どもたちがいます。

「この子、考えてるのかな?」
「ことばが出ないってことは、気持ちがないのかな?」
そう思われてしまう子が、現実にいます。

けれど、そんな子どもたちは、
「考えていない」のではなく、「考えている途中で止まっている」のです。
あるいは、「どう言えば伝わるか」を探しすぎて、
**“言葉になる前で止まっている”**のです。

この物語の主人公には、診断名は出てきません。
けれどモデルとなっているのは、ASD(自閉スペクトラム症)傾向のある子どもたちです。

ASDの子は、

  • 感じすぎてしまう

  • 認知の速度と感情の速度が合わない

  • 言語が頭の中で詰まりやすい

  • “伝えたい”という気持ちはあるのに、うまく届かない

そんな“ことばになるまでの時間”を抱えています。

けれど、今の社会も、支援も、教育も──
その「時間」を、あまりにも待ってくれません。

  • 早く答えること

  • 反応できること

  • 周囲に合わせられること

それらが「できる/できない」で評価され、
“まだ言葉になっていない思い”は見落とされてしまいます。

『言霊』というタイトルは、そんな子どもたちの中にある
**まだ音にならない“ことばの魂”**に目を向けたくてつけました。

彼らの沈黙は、無関心ではありません。
言葉にならない時間こそが、その子の“深さ”の証明かもしれない。
そんな風に思ってもらえたなら、この物語には意味があったと思います。

どうか、ことばになるまでの時間を、
奪わずに、待ってあげてください。
そして、待ってもらえなかったすべての過去に、
そっと言葉をあげてください。

ありがとうございました。

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