話題になるものは、必ず問題点を露出させる

──そして人間の区分けは、しばしば本質を隠す

Winny、フロン、アスベスト、生成AI。

これらはしばしば
「一度称賛され、後に問題視されたもの」
として同列に語られる。

しかし、この区分には決定的な問題がある。

それは、生成構造を無視し、
人間の都合で作られたジャンルでまとめていることだ。


共通しているのは危険性ではなく、「問題が露出した」という事実だけ

アスベストは、物理的に人体へ不可逆な損傷を与える物質である。

一方、Winnyは情報分散技術であり、それ自体が人体へ直接的な物理被害を与えることはない。

両者の生成構造はまったく異なる。

それでも同じカテゴリに見えるのは、
ただ一つの共通点があるからだ。

それは、

社会がそれを強く意識した結果、問題点が露出した

という点である。

これは善悪の問題ではない。

単純に、観測密度の問題だ。

使用者が100人のときには見えなかった問題も、
使用者が1000万人になれば、必ず誰かが遭遇し、共有する。

話題になるということは、
問題が存在するというより、

問題が観測可能な状態になった

ということに過ぎない。

同じことは生物の分類でも起きている

例えば、コウモリは飛ぶ。

見た目だけを見れば鳥に見える。

しかし、コウモリは哺乳類だ。

なぜなら卵ではなく胎生であり、乳で子を育てるからだ。

飛ぶかどうかは本質ではない。

生成構造が本質である。

同様に、バナナは木のように見える。

しかし、バナナは木ではない。

巨大な草である。

幹に見える部分は木ではなく、葉が巻き重なった偽茎に過ぎない。

見た目は木でも、生成構造は草なのだ。

果物と野菜の区分もまた、人間都合に過ぎない

オリーブは果物である。

しかし多くの人は果物だと認識していない。

なぜなら甘くないからだ。

つまり、
「甘いかどうか」という人間の用途で分類しているだけであり、

生成構造では分類していない。

生物学的には、オリーブもトマトも果物である。

しかし文化的には野菜や食材として扱われる。

ここでも、生成構造と人間の区分けはズレている。

ジャンルとは世界の性質ではなく、人間の都合である

ジャンルは、世界そのものの性質ではない。

人間が理解し、管理し、共有するために作った圧縮形式である。

それ自体は必要なものだ。

しかし問題は、

その区分が人間都合であることを明示せず、
あたかも対象の本質であるかのように扱うこと

である。

Winnyとアスベストを同列に置く思考は、まさにそれだ。

それは対象の生成構造ではなく、
社会の反応だけを基準にした分類である。

結論:話題になるものは、必ず問題点を露出させる

良し悪しとは無関係に、

社会で広く話題になるものは、必ず問題点を露出させる。

それは危険だからではない。

観測される機会が増えたからである。

そしてもう一つ重要なのは、

人間の作るジャンルや区分けは、
対象の本質ではなく、人間の都合に過ぎないということだ。

バナナは木ではなく草であり、
コウモリは鳥ではなく哺乳類であり、
オリーブは野菜ではなく果物である。

同様に、

Winnyはアスベストではない。

ジャンルは真実ではない。

それは人間が世界を扱うために作った、便宜的なラベルに過ぎない。

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