創造管理と生産管理は、まったく別の仕事だ
最近、「管理職って本当に必要なのかな」と思うことが増えた。
企業の話でも、創作の話でも、プラットフォームの話でも、だ。
もちろん、ちゃんとマネージメントができている人なら必要だと思う。
でも多くの場合、管理が創造を邪魔しているように見える。
管理って、そんなに難しい仕事なんだろうか。
それとも、前提を間違えたまま管理しようとしているだけなんだろうか。
生産管理とは何か
まず整理したいのは、生産管理というものが何を前提にしているかだ。
生産管理の世界では、
正解は事前に決まっている
手順は固定されている
例外はバグ
個体差は誤差
評価は出力の一致度
が基本になる。
工業規格の世界では、揺らぎは価値ではなく、排除すべきノイズだ。
この前提に立つと、管理職の仕事はこうなる。
進捗を確認する
手順が守られているかを見る
数値を監視する
逸脱を検知する
修正を指示する
これは悪い仕事ではない。
むしろ、大量生産の世界では必須だ。
ただし、やっていることはほぼプログラムの実行管理に近い。
人間をノードとして扱い、仕様通りに動いているかを確認する。
創造管理とは何か
一方で、創造が関わる現場では前提が真逆になる。
正解はまだ存在しない
手順は途中で変わる
失敗は意味を持つ
個体差が価値になる
結果は後から理由づけされる
この世界では、揺らぎや混乱こそが素材だ。
ここで必要になる管理は、
目的を言語化する
摩擦を減らす
外部からの圧力を遮断する
判断と責任を引き受ける
創造が起きる余白を守る
つまり、管理とは制御ではなく環境設計になる。
優れた創造管理は、何もしていないように見えることすらある。
現場が勝手に動き、トラブルが表に出ず、創造が進んでいる。
なぜ管理職がいらなく見えるのか
問題は、生産管理向けに最適化された管理職が、そのまま創造の現場に持ち込まれていることだ。
管理側はこう思っている。
「仕様が決まっていないものを、どう管理すればいいのか分からない」
一方、創造側はこう感じる。
「判断もしないし、守りもしないのに、口だけ出される」
どちらも間違っていない。
前提が違うだけだ。
創造を是としない世界で育った管理職は、創造をどう扱えばいいかを知らない。
知らないものは管理できない。
結果、管理は抑制になり、減点になり、平均化になる。
技術マニア・ゲートキーパーとの共通構造
この構造は、最近よく見る「技術マニア」や「評価者」とも同じだ。
点数をつける。
欠点を列挙する。
「界隈的には〜」で判断する。
それは技術への愛ではなく、工業規格的な適合チェックだ。
本来の技術マニアは、
想定外の使い方を探す
バグや事故を発見として拾う
未熟さを可能性として見る
人たちだった。
でも今、前に出ているのは技術自警団やゲートキーパーの役割だ。
生産管理の論理が、創造や文化の評価に持ち込まれている。
管理が悪いわけではない
ここで誤解してほしくないのは、管理そのものが悪いわけではない、ということだ。
管理は必要だ。
ただし、
生産管理が必要な場所
創造管理が必要な場所
を取り違えている。
創造を扱うなら、管理はプログラムではなく、判断と責任を引き受ける仕事になる。
これは数字では測れないし、説明も難しい。だから多くの人はやりたがらない。
おわりに
管理が難しくなったわけではない。
管理の前提がズレたまま、無理に当てはめられているだけだ。
創造を是としない世界で最適化された生産管理の論理を、創造の現場に持ち込めば、そりゃ息苦しくなる。
管理職がいらなく見えるのは、管理が不要だからじゃない。創造を理解しない管理が、前に出すぎているからだ。
この違和感に気づく人が増えたら、管理という仕事の見え方も、少し変わるんじゃないかと思う。
