資本主義を否定していたら、資本主義の原点回帰主義者だった話

最近、自分で話していてちょっと笑ってしまったことがある。

ずっと私は、資本主義とか企業経営のあり方に対してかなり批判的に見てきた。

数字ばかり追う。
短期の売上ばかり追う。
人を消耗品のように扱う。

そういう構造にずっと違和感を持っていた。

だから自分では、どちらかといえば「反資本主義」寄りの感覚を持っていたつもりだった。

でも、ある話をしていてふと気づいた。

あれ?
これ、私が一番“経営の根幹”を語ってないか?

たとえば最近考えていたのは、人的資本の話だ。

子育てや家庭の負荷を個人に押し付け続けて、結果として人が疲弊し、次世代の再生産が難しくなる。

これって社会全体として見れば、人的資本の枯渇に近い。

鉱脈でもそうだ。

掘り続ければいつか枯れる。
だから企業は新しい鉱脈を探したり、代替案を考えたり、再投資を行う。

もし「掘り尽くしたら事業を畳めばいい」という思想で経営していたら、株価は暴落するだろう。

将来の持続性がないからだ。

ここでふと気づいた。

私がずっと批判していたのは、資本主義そのものではなく、資本主義の“劣化運用版”だったのではないか。

本来の資本主義や経営の原理は、むしろ持続可能性にある。

資源を維持する。
人材を育てる。
再投資する。
循環させる。

これは極めて古典的な発想だ。

短期KPIや瞬間の数字最適化だけを追うものは、原理というより、後から強くなった運用の癖にすぎない。

つまり私は資本主義を否定していたつもりで、実際にはその原点に回帰しようとしていたのかもしれない。

ある意味で、私は反資本主義者ではなく、原点回帰主義者だった。

少し皮肉だ。

最先端の合理性だと思われているものに違和感を持ち、掘り下げていった結果、たどり着いたのが古典だったのだから。

でも、案外こういうことは多いのかもしれない。

新しい思想に見えるものが、実は忘れられていた原理の再発見であること。

私が求めていたのは破壊ではなく、循環だった。

否定していた先にあったのは、原点回帰だった。

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