映像は表現じゃなくて広告になった

最近の映像を見てて思うのが、「クオリティ高いな」じゃなくて「なんか全部同じだな」って感覚。

最初は気のせいかと思ってたけど、違和感の正体はシンプルだった。

たぶん今の映像って、表現じゃなくて“広告”になってる。


ファストフードのハンバーガーを思い出す。

広告の写真は、パンはふわふわで、肉は分厚くて、チーズはとろけてる。
完璧に設計された“美味しそう”の塊。

でも実際に出てくるのは、ちょっと潰れてて、思ったより薄くて、「あれ?」ってなるやつ。

別にまずいわけじゃない。
でも、期待値とのズレが気になる。


今の映像もそれに近い。

色も構図も演出も、全部“良さそう”に最適化されてる。
一瞬で目を引くし、クオリティも高い。

でも、その先に何があるのかっていうと、意外と何もない。

意味がないわけじゃない。
ただ、“意味を感じる前に終わる”。


本来、映像って何かを伝えるための補助だったはず。

言葉では届かない感覚を補強したり、
体験の輪郭をはっきりさせたり。

でも今は逆で、映像だけで成立させようとしてる。

その結果、何が起きてるかというと、
“それっぽさ”だけが残る。


英語っぽい文字や、UIっぽい表示もそう。

読めそうで読めない。
意味ありげで、意味が確定しない。

あれは情報じゃなくて、雰囲気のパーツになってる。


問題は、クオリティが高いことじゃない。

クオリティが高すぎて、
中身がなくても成立してしまうこと。


映像が主役になったわけじゃない。

“映像だけで完結させる構造”が強くなりすぎた。

だから、似る。


全部が広告みたいになる。

見た瞬間がピークで、そこから先に体験が続かない。


別にそれが悪いとは思わない。

ただ、あれを「表現」と呼ぶのは、ちょっと違う気がする。


映像は、何かを伝えるためにあるのか。

それとも、止めるためにあるのか。

その違いだけは、ちゃんと見ておいた方がいいと思う。

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