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断絶

「母親になれば、自然と愛せると思っていた──」
娘が育児に疲れ果て、「子どもを欲しくなかった」とこぼしたその瞬間、
実母の胸にもまた、言葉にならなかった記憶がざわめき始める。

かつて自分も、母という役を“ちゃんと”演じた。
だがその「ちゃんと」は、誰かの期待を満たすものでしかなく、
愛し方を教わらず、愛され方を知らずに生きてきた“女”のままだった。

これは、母から娘へと引き継がれた「愛し方の不在」と、
その断絶を自覚することで、初めて生まれる“ほんとうの母性”の物語。

「断絶」は、拒絶ではなく──再生のはじまりだったのかもしれない。
#創作大賞2025


第一章 見つめる目

あの子は──娘は、
子どもを産んでから、私の目を見るようになった。

それまでのあの子は、私に目を合わせることが少なかった。
返事はする。でもそれは、口先だけの“義務”のようだった。
「うん」「ありがとう」「大丈夫」
そんな言葉を、必要な分だけ渡してくる。
まるで、何かを測っているような受け答えだった。

でも最近は、違う。

視線が合う。
まっすぐ、こちらを見てくる。
何かを確かめるように。
何かを、測っているように。

その目に、かつての自分を見た気がした。

私は、自分の母親とそんな目をしたことがなかった。
あの人はいつも忙しそうで、言葉少なく、背中ばかりを見せていた。
私は、母の目を探した記憶がない。

──だから私は、子どもには目を合わせようと思っていた。
ちゃんと向き合って、話を聞いて、抱きしめて、愛していると伝える。
そうすれば、きっと、違う未来になる。

そう思っていたのに。

「ママって、昔からこんな感じだったっけ?」

先日、娘がふとそんなことを言った。

「“こんな感じ”って?」と聞き返すと、
「うーん……ちゃんとしてるけど、近くないっていうか……」と、
はっきりしない言い回しで、視線を逸らした。

──“近くない”。

それは、娘が子どもを産んで、
はじめて実感したことだったのかもしれない。

そして、私自身も──
“母親らしくしてきたつもり”でいたことが、
たったひとつの“距離”として、あの子の中に残っていたのかもしれない。

私は、母のようにはなりたくなかった。
けれど、なれなかったのは──
“母親”ではなく、“母じゃなかった私”のままでいることだった。

今、娘のまなざしに映る私は、
“母であること”を最後まで演じきってしまった女の姿なのだ。



第二章 欲しくなかった言葉

「……私、もともと子ども、欲しくなかったんです」

その言葉を、あの子は小さな声で言った。
カフェの席に沈み込むようにして、アイスコーヒーの氷をゆっくりとかき混ぜながら。

私は思わず、スプーンを持つ手を止めた。

聞き返さなかった。
けれど、その一言は、胸の奥で鈍く反響した。
まるで、ずっと言えなかった自分の言葉を、娘が代わりに口にしたかのように。

「でも、“年齢的にそろそろ”って言われて……
結婚して3年目だったし、周りもそんな感じだったから……
自分の気持ちより、“流れ”を優先しちゃったんですよね」

あの子は目を伏せたまま、淡々と語った。
その言葉の中に、怒りも、涙もなかった。

ただ──少し、乾いた声だった。
誰かを責めるでもなく、誰かにすがるでもなく。
まるで、自分自身に問いかけるように。

「産んだら、何か変わるかなって思ってたんです。
“産めば分かる”って、いろんな人に言われたから」

──でも、変わらなかった。

その一言に、私の心はざわついた。

「もちろん、この子は可愛いんです。
……可愛いって“思おう”としてる。
でも、朝起きると、最初に浮かぶのが“ああ、今日も始まっちゃった”で……
声をかけられると、反射的に“返さなきゃ”って義務みたいに思って……」

私はその声を、どこかで聞いたことがある気がした。
それは、若い母親たちが言う“現代の育児のしんどさ”という言葉ではなかった。

もっと奥にある、誰にも聞いてもらえなかった世代の、言えなかった心の声

「育児って、“誰のもの”なんでしょうね?」

そう笑った娘の目を見て、私はなぜか咄嗟に笑えなかった。

──その問いは、私に向けられたものでもあった。

私も、言えなかった。
「本当は、欲しかったわけじゃない」なんて。
「流れに乗っただけ」なんて。
「ちゃんとした母親になれる気なんて、最初からなかった」なんて。

だからこそ、あの子の口からそれが出てきたとき、
私は、一瞬で、自分の過去と重なった。

私は母として、あの子に何を渡せていたんだろう。
“母になるしかなかった私”の記憶を、
そのまま“母になろうとする娘”に手渡してしまっただけじゃなかったか。

──それが、愛情だと信じて。



第三章 与えられなかった愛

娘がまだ小さかった頃の記憶を、私はあまり持っていない。
それは決して、忘れたくて忘れたわけではない。
ただ、“ちゃんとやらなきゃ”という思いに追われ続けていたから、
毎日が義務の積み重ねのようになっていた。

おむつを替えて、食事を作って、洗濯をして、片付けて。
保育園のお迎えに遅れそうになり、必死に自転車をこいで、
家に着けば、ぐずる子どもと冷めた夕飯。

私は、娘を「育てた」。

けれど──「愛した」記憶が、あまりない

いや、もちろん愛していた。
そう思っていた。
だから怒ったし、叱ったし、夜中に泣いても抱き上げた。

でもそれは、
“母親だからやるべきこと”をやっていただけかもしれない。

「愛してる」と、声に出して言ったことはあっただろうか。
手を握って「大丈夫だよ」と伝えたことは?
何もできないまま泣く娘の横に、何も言わずにただ寄り添っていたことは?

私は、「ちゃんと」していた。
“正しい母親”として、恥ずかしくないように。

だけど、
娘に必要だったのは、“正しい母”ではなく、“近くにいる母”だったのかもしれない

──そういえば。

娘が5歳くらいの頃、
「ママはなんで“ぎゅっ”してくれないの?」と聞かれたことがある。

私は笑って、「してるじゃない」って答えた。
でも、本当はしていなかった。
“してるつもり”だっただけだ。
ほんの一瞬の抱擁に、
私は“母親として十分やっている”という達成感だけを求めていた。

娘の気持ちではなく、
“社会的な正解”に合わせて母親をやっていた

いま、あの子は、
“愛せないこと”に苦しんでいる。

けれど、
“愛されなかったこと”に苦しんでいた私を、
あの子は知らない。

私は、自分が母からしてほしかったことを、
娘にしてあげられなかった。
できるはずだったのに、
あの時の私は、それを“恥ずかしいこと”だとどこかで思っていた。

愛情をうまく表現できない女は、
母親になると──もっと苦しむ。

その連鎖が、
いま、あの子の目の奥で続いている。

「ごめんね」と言いたいのに、
その一言が、喉を通らない。

私の“母性”は、
いつからこんなに冷たく、こわばってしまったんだろう。


第四章 母という役

「母になれば、自然と母になれる」

そう信じていた。
信じさせられていた。
母親とは、本能で子を守り、愛する存在だと──
誰もが当然のように語っていた。

私は昭和の終わりに母になった。
“母親らしくあること”が、美徳とされた時代だった。

お弁当は手作りで、家は清潔に保ち、
子どもには読み聞かせと習い事を欠かさず、
夫のシャツはアイロンをかけてたたみ、
実家の母には「ちゃんとやってる」と言われるように振る舞った。

──息が詰まるほど「ちゃんと」していた。

でも、誰も褒めてはくれなかった。
それが“当たり前”だったから。

「母親なんだから、できて当然」
「母親なんだから、子どもが最優先」
「母親なんだから、感情をコントロールしなさい」

──「母親なんだから」
その言葉は、私に“私”を許してはくれなかった。

泣きたくても泣けなかった。
怒りたくても飲み込んだ。
疲れたと口にすれば、「あなたが選んだ道でしょう」と返された。

それでも私は、
「普通の母親になりたかった」。

──本当は、「母親じゃない私」でいたかったのかもしれないのに。

それを言葉にする勇気が、当時の私にはなかった。
口にした瞬間、すべてが崩れてしまう気がした。
子どもにも、夫にも、社会にも、「不適合者」の烙印を押されるような怖さがあった。

だから、私は**“母という役”を演じることにした**。

心を無くすことで、役に没入した。
感情を殺すことで、役割を果たした。

そうして完成したのが、
「ちゃんとしているけど、近くない」母親。

──娘が私をそう評したのは、まさしく、その通りだったのだ。

もしかすると、娘がいま苦しんでいるのは、
私がその“演技”を、あまりに自然にやってしまったせいかもしれない。

「母とは、こうあるもの」
「愛とは、そういうふうに見せるもの」
私はそれを、無言で娘に渡してしまった。

そして今──
娘はその“演技”を引き継ぎ、
自分が母になりきれないことを、責めている。

役は、呪いだ。

愛し方は、誰にも教えてもらえなかった。
ただ、「こうあるべき」という台本だけが与えられた

そして私は──
その台本を、娘にも渡してしまった。


第五章 断絶

私はあの子に、
「ちゃんとした母親になってほしい」と思っていた。

──でも、それは本当だろうか。

本音をたどっていくと、
「ちゃんとしているように見える娘」であってほしかったのかもしれない。

人から「よくやってるわね」と言われるように、
世間から恥ずかしくないように、
“ちゃんとしている家族”に見えるように。

私が望んだのは、
「娘の自由」ではなく、「娘の整合性」だったのかもしれない。

娘は、私によく似ている。
感情を内側に畳んで、言葉を選びすぎてしまうところ。
人に頼るのが苦手で、「自分で何とかしよう」としてしまうところ。
自分の“苦しさ”より、“責任”のほうを優先してしまうところ。

そんな娘を見ていると、
私は、どこか安心していた。
「ちゃんとやっている」ように見えたから。

でも──

それは、私がかつて“そう見せていた”のと、
まったく同じ演技だった。

“母になること”は、ゴールではなかった。
始まりだったのだ。
そして、私はその入り口にすら立てなかったまま、
「こうでなければならない母親像」に自分をねじ込み、
そのまま人生を通り過ぎてしまった。

私は母になれなかった。
母という役を生きただけだった。

だから、あの子もいま、同じ場所で足を取られている。

これは偶然じゃない。
断絶しなければならない連鎖だったのだ。

母は、娘に愛を与える存在だと言われる。
けれど、与えられなかった愛は、どうすればいいのか。
受け取れなかった温度は、どうやって伝えればいいのか。

私は知らなかった。
私の母もきっと、知らなかった。

誰にも教わらず、
誰にも助けられず、
私たちはそれぞれの時代で、
不完全な母性を演じ続けてきた。

そろそろ、終わりにしなければならない。

“ちゃんとしているように見える”母ではなく、
“苦しんでいるままの自分”を抱きしめてやれる母として──

その先に、やっと「愛し方」は始まる気がした。


第六章 ほころび

帰り際、娘はカフェの椅子から立ち上がりながら、
ふと、何かを思い出したように言った。

「……あのとき、ママもつらかった?」

その声には責める色はなかった。
ただ、答えを求めるのではなく、“共鳴”を求めるような問い方だった。

私は少しだけ黙って、笑った。
笑うしかなかったのだ。

「……つらかったよ」
「でも、“つらい”って言っちゃいけない気がしてたの」

それは、私があの子に初めて渡せた“本当の言葉”だったのかもしれない。

あの子は「うん」とだけ頷いて、それ以上は何も言わなかった。
けれど、その“うん”には、何かが少しだけ、ほどけていた。

糸の端が、やっと見えた気がした。
きつく縛られた役割の、固く結ばれた母娘の結び目の、その一部が。

「じゃあね」と言って、あの子は子どもを抱き上げた。
ぎこちないながらも、その腕の中にある体温に、
ちゃんと“いま”のあの子がいた。

私は手を振りながら思った。

──私たちは、母と娘としては、きっと不完全だった。
だけど、その“不完全さ”を愛そうとし始めた瞬間から、
何かが少しずつ、再編されていくのかもしれない。

「ごめんね」とも、「ありがとう」とも、言葉にはならなかったけれど、
娘の背中が遠ざかるそのとき、
私は、やっとほんの少し、“母親”になれたような気がした。

断絶は、確かにあった。
でもそれは、完全な切断ではなく、
受け継がなかったことで、新しい愛し方が芽吹く余地でもある。

私たちはそれぞれ、
愛し方を知らないまま、“母”になってしまった者たちだ。

けれどそのほころびから、
ようやく、愛が染み出してくるのかもしれない。

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