存在
太陽に顔を向ける花は、強くて立派に見えるらしい。
でも、うつむいて咲く花にも、咲く理由がある。
私は、誰かの育児に寄り添ってきた。
けれど、自分の娘の声だけは、聞き逃していたのかもしれない。
この物語は、
見過ごされたまま咲いていた、ひとつの「存在」と向き合う記録である。
#創作大賞2025
第1章 診断がほしい
朝、保健センターの相談室は静かだった。
壁に貼られた季節の飾りつけが、時間の流れを告げている。4月、桜、入園。けれどその空気に乗り遅れた親子が、今日もまた一組、静かに部屋へ入ってくる。
母親は30代前半。小柄で、どこか硬い表情をしていた。
隣にいる男の子は4歳。目線を合わせないまま、椅子に座ると、手にしたミニカーをゆっくりとテーブルの上で走らせ始めた。
「すみません……うちの子、ちょっと、言葉が……出るんですけど、会話にならないっていうか……保育園でも心配されてて……」
私はメモをとるふりをしながら、母親の声の揺れを聞いていた。
こうした面談では、言葉の内容以上に、“どこで声が震えるか”が重要だった。
「“会話にならない”って、具体的にはどんなときですか?」
「うーん、返事はするんですけど、オウム返しが多くて。『おやつ食べたい?』って聞くと、『おやつ食べたい?』って言い返す感じで……。あと、人と遊ばなくて、一人でブロックばっかりやってるんです」
「保育園の先生は、なんて?」
「“発達の専門に相談した方がいいかも”って。で、グレーかもしれないって……。それで、診断をもらったほうが支援も受けられるって言われて」
彼女はそこまで言って、視線を落とした。
目の前の子は、こちらを一瞥することもなく、静かに同じ動作を繰り返していた。
ミニカーが机の端で止まり、彼はまた最初の位置に戻して転がす。
「……だから、診断がほしいんです。もらったほうが、早く療育とかにも行けるし……」
私はしばらく黙っていた。
診断が「子どもを見る」ためのものではなく、「制度を使う」ための手続きになっている。
それは、制度の仕組みを知っている者には合理的な判断に見えるかもしれない。
でも、それは同時に──“この子が何者か”を、他者の言葉に預ける行為でもあった。
「お母さんは……今、この子が困っていると感じていますか?」
「えっ?」
「本人が、何か困っていそうだと感じる場面ってありますか? 生活の中で、泣いたり、うまくいかなくて怒ったりするような……」
「うーん……癇癪はあるけど……でも、おとなしい方だと思います。家では好きな遊びもしてるし……」
言葉が濁る。
そうだろう。
困っているのは──たぶん、子どもではなく、周囲の“目”のほうなのだ。
私は、その親子の姿を一歩引いて見つめながら、心の中で自問していた。
この国では、診断が“鍵”になっている。
制度の扉を開くための、ラベル。
でも──本来そのラベルは、誰のために貼るものだったのか?
私はこの子に、何かを言葉で伝えるべきか迷ったが、やめた。
きっと彼にとって、今この時間は“安全な場所”でしかない。
なら、それでいい。少なくとも今は。
男の子は最後に私の目をちらりと見た。
その視線には、何の意味も含まれていないように見えて、
──それでも、何かを訴えかけていたようにも思えた。
私は小さくうなずくようにして、母親に声をかけた。
「もう少し、こちらでも様子を見させてください。焦って判断するより、今できることを少しずつ見ていきましょう」
母親はほっとしたような、それでもどこか不安を残したような顔でうなずいた。
「それと……お母さんも、あまり気負いすぎないでくださいね。お子さんのこと、ちゃんと見ようとしているのは伝わってきましたから」
「……はい。ありがとうございます」
ドアが閉まったあとも、私はしばらく席を立たなかった。
男の子のあの視線が、ふいに思い出された。
何も語らないのに、何かを押し返すような目。
あれは本当に「訴え」だったのか、それとも私の勝手な解釈だったのか。
診断は、彼を助けるのだろうか。
それとも、彼を定義してしまうのだろうか。
そして私は──
“わかっている風の言葉”を繰り返すことで、
自分をごまかしてはいないだろうか。
そんな問いが、今日もまた、
言葉にならないまま喉の奥に沈んでいった。
私は沈黙のまま、次の面談表をめくった。
第2章 祖母がうるさい
「もう、うちの母がうるさくて……毎日毎日、“もっとちゃんと叱れ”とか、“あんたが甘やかすからだ”とか。私だってやってるつもりなんです」
母親は語気を荒げながらも、どこかで謝るような口調だった。
私は彼女の斜め向かいに座り、頷きながらメモも取らず、ただ話を聞いていた。
彼女の隣には5歳の女の子。何も言わず、クッションに顔をうずめていた。
「……この前も、“そんなに外で走り回らせてみっともない”って言われて。子どもって走るもんでしょう?なのに“女の子なんだから”って……」
母親の目元がかすかに揺れた。
私は言葉を挟まないまま、彼女の背後にいる“誰か”を想像していた。
それは支援の現場では珍しくない影──祖父母、特に“昭和の母親”の声だ。
「娘は元気だし、私としては……できるだけ自由に、って思ってるんです。親がいつも怒ってばかりじゃ、子どもって萎縮するじゃないですか」
彼女の言葉には、“正しいことをしてるはずなのに責められている”という怒りと哀しみが、混ざっていた。
「でも、実家に預けることもあるし、完全には無視できないんですよね。
預かってもらってる手前……言い返しづらくて……」
彼女は深く息を吐いた。
私はしばらく黙ったまま、頭の中で整理を始める。
祖母は、悪気があって干渉しているわけじゃない。
彼女にとって“子どもを育てる”とは、“きちんと叱り、礼儀を教え、社会に出せるようにすること”だったのだろう。
それが「愛情の形」だった。
だが今、それは“古い価値観”と呼ばれ、若い親にとっては“呪い”のように響く。
「お母様には、娘さんの子育て方針について、どれくらい話されていますか?」
「話しても、全然伝わらないです。“それはあんたの甘え”って言われて終わりです」
私はうなずいた。
伝わらない、ということが、すでに関係の疲弊を示している。
「きっと……“しつけ”という言葉の意味が、お母様とあなたでは違ってるんでしょうね」
「違ってる……ですか」
「昔の“しつけ”って、“怖さ”で守らせるものでした。
でも今は、“安心”の中で育てることが重視されるようになってきてる」
「うん……」
「どちらが正しいというより、“時代が違う”んですよね。
でも、それが一緒の家庭の中にあると、やっぱり摩擦になる」
彼女は深く頷いた。
それは“正しい支援”を聞いて納得したというよりも──
「自分の苦しさが、時代のせいでもある」とわかった瞬間の安堵のように見えた。
女の子が私の方をちらっと見た。
その目には、何も映っていないようでいて、
大人たちの“ズレ”を肌で感じ取っているような、かすかな警戒心があった。
私は静かに笑いかける。
「おばあちゃんの言葉に困ったときは、“それはうちのルールと違うから”って、子どもに伝えてあげてください。
自分がどう育てたいかは、ちゃんと“あなたが選んでいい”んですから」
「……そう、ですね……」
母親の目元がすっと緩んだ。
だがその陰に、疲れの深さが残っていた。
面談のあと、私は記録表を開きながら、ふと手を止めた。
この国では、“育児”という言葉の意味が、
世代ごとにまったく別の文法で書かれている。
その違いを埋める辞書は、どこにもない。
そして私は、その翻訳を仕事にしている。
だが本当に、それは翻訳なのだろうか。
それとも、どちらかに寄せていくように“仕向けている”だけではないのか。
私はもう一度だけ面談記録を読み返し、沈黙のまま画面を閉じた。
第3章 支援が届かない
「支援って、どこまでが“支援”なんですか?」
そう尋ねた母親の声には、苛立ちも、絶望も、疲労も混ざっていた。
私は少しだけ姿勢を正し、彼女の目を見た。
答えられない問いだということを、私はあらかじめ知っていた。
彼女はひとり親だった。
夫とは離婚して5年、今は3人の子どもを育てながらパートを掛け持ちしている。
上の子は中学生、下の子はまだ保育園に通っていた。
相談に来たのは、発達面で気がかりな長女についてだったが──
実際に話を聞くと、問題は“発達”よりも“生活”に根差していた。
「家に帰っても、ご飯作ってる間に下の子泣くし、上の子はスマホばっかりで部屋にこもってるし。
私、誰とも会話してない日とかあるんですよ?自分でもおかしくなるって思うけど、じゃあどうしたらいいのかなんて、わからなくて……」
彼女の声は、語尾にいくほど小さくなっていった。
「保健師さんにも相談したんです。“一度、発達検査を受けてみたら”って言われて。
でも検査受けたって、結局“グレー”って言われて終わりなんですよ。
療育も“空きがない”って、どこも待機。
母子家庭向けのサポートって言っても、実際には“フルタイム勤務じゃないと対象外”とか言われて──
あれもダメ、これも対象外。
じゃあ、私たちはどうしたらいいんですか?」
私は、言葉を失っていた。
彼女が怒っているのは、制度に対してだ。
それは正しい。
でも今この瞬間、彼女の怒りを“受け止める役”をしているのは──私だ。
「……困ってる人が、制度に合わせないといけないんですか?」
「私たちが“届くようにしてください”って言わなきゃ、誰も来てくれないんですか?」
彼女の問いは、私の胸を打ち抜いた。
私は支援者として、たくさんの家庭と関わってきた。
けれど──
“制度からこぼれる人”の前では、私はいつも無力だった。
「……正直に言うと、私にも“今すぐできる支援”は限られています。
でも……もう少し一緒に考えさせてください。
申請書の書き方や、面談の調整、つながりやすい窓口……そういうことから、ひとつずつ──」
「そうやって、“一緒に考えましょう”って、何回も言われてきたんです。
それで何も変わらなくて、こうしてここまで来てるんです」
「……わかります。私も、離婚してすぐの頃は同じでした。
母子加算、児童扶養手当、医療費助成……制度の名前はあっても、申請の段階でつまずいて。
“この条件では対象外です”って、窓口で何度も言われました。
そのときは、“制度がある”って言葉自体が嘘みたいに思えて」
彼女は黙っていた。けれど、ほんの少しだけ、表情が揺れた気がした。
「……私にも、できる限りの支援は行なっていくつもりです。
だから、またいつでも、気軽に尋ねてくださいね」
その言葉に、彼女はようやく、ほんのわずかに目元を緩めた。
面談が終わり、記録用紙を開いても、私はすぐに書き始めることができなかった。
「支援」とは何か。
「届く」とはどういうことか。
そもそも“支援が必要な状態”を誰が定義しているのか。
制度に沿って支援する。
それが仕事だ。
けれど──制度の外にこぼれた人を、制度に戻すことだけが「支援」なのか。
私はしばらくペンを握ったまま、記録表を閉じた。
何もできなかった自分を、
「制度のせい」にしてしまいたくなる。
でも、それを言った瞬間に、
私は“支援者”ではなくなるような気がしていた。
第4章 望まなかった出産
「……正直に言うと、産みたくなかったんです。あのときは。」
その言葉が出た瞬間、私は一瞬、呼吸の深さを失った。
面談を何百とこなしてきた中でも、“その言葉”を口にする親に出会うことは、めったになかった。
彼女は30代半ば。表情は穏やかで、声も柔らかい。
子どもは6歳。保育園の年長。面談に来たきっかけは、夜泣きと情緒の不安定さだった。
「もちろん、今は可愛いと思ってます。
でも……あのとき、“自分が親になる”って、どうしても思えなくて。
でも言えなかったんです。夫にも、親にも。
“子ども欲しいでしょ?”って周りが言うから、合わせて……」
彼女は俯き、両手を膝の上で組んだまま動かさなかった。
「出産のときも、涙が出なかったんです。“生まれたー”って、周りが喜んでるのに。
そのあとも、ずっと“何か違う”って思ってて……でも誰にも言えないし、
子どもが悪いわけじゃないし、
なのに……時々、“産まなければよかった”って考えてしまって──
……そのたびに、自分が最低な人間に思えて」
私は、言葉が出なかった。
支援者として、「そう思ってしまうのは自然なことです」と言えばいいのかもしれない。
でもそれは、“許す側”の言葉になってしまう。
私は、その立場になっていいのか。
彼女の痛みを、正しさの言葉で包んでしまっていいのか。
「……誰にも、言ったことなかったです。
保健師さんにも、ママ友にも、夫にも。
ずっと、“可愛い”って言わなきゃいけない空気があって」
「言えたの、初めてなんですね」
私はようやく、静かにそう返した。
彼女は小さくうなずいた。
「それが“親になること”だったんだと思います。
自分を殺すこと。期待に応えること。
そうしないと、“母親失格”って言われる気がして……」
私はふと、自分の出産の記憶を思い出していた。
望んでいたはずだった。
けれど、あの産声を聞いた瞬間、心の底でうっすらと、
“もう戻れない”という諦めのような感情が確かにあった。
それをずっと、誰にも言わずにきた。
「……私は、子どもを“喜んで産んだ人”じゃないんです。
なのに、“良い親”をやってるふりをしなきゃいけないことが……
一番、苦しいです」
彼女の言葉に、私は何も返せなかった。
今ここで言えるような“前向きな支援の言葉”は、どれも薄っぺらく思えた。
だから私は、ただ言った。
「……ここでは、そのままの気持ちで話してもらって大丈夫です。
“良い親”にならなくても。
そういう場所でありたいと思っています」
彼女は涙を流さなかった。
けれど、口元だけが少しだけ崩れて、
そのまま深く、頭を下げた。
そして私は、思った。
もしあのとき、誰かが「そのままでいい」と言ってくれていたら、
もしもっと早く、社会が“育てることの孤独”に気づいていたら──
この人は、最初から「産んでよかった」と思えたかもしれない。
面談が終わり、私は記録表を開きながら、手を止めた。
“産みたくなかった”という言葉が、何度も胸の中にこだました。
その気持ちは否定すべきものなのか。
それとも、“母性神話”という枷に押し込まれてきた社会の責任なのか。
それとも──
私自身もまた、その神話の中で、誰かを裁っていたのではないか。
私はペンを置いたまま、窓の外を見た。
春の風が、街の騒がしさを運んでくる。
そのざわめきの中で、
“本音を隠してきた母たちの声”が、
どこかでかすかに鳴っていた。
第5章 きょうだい格差
「この子は……お兄ちゃんとは違って、ちょっと苦手なことが多くて」
母親はそう言いながら、椅子に座った娘の髪を直した。
7歳の女の子。体を揺らしながら、じっと天井を見つめている。
時折、唇を噛んでいるのがわかった。
「お兄ちゃんは、本当に手がかからなかったんです。今も学級委員してるし、成績もよくて。
でもこの子は……どうしても“できないこと”が多くて。
先生にも言われるんです。“もう少し集中できるように”って。
それで、一度見ていただいたほうがいいかなって思って……」
彼女は言葉を選ぶようにしながら、
でもその合間合間に、“比べてしまっている”感情がにじみ出ていた。
私は娘の方に目を向けた。
目が合わない。体は椅子にあるのに、心はどこか別の場所にいるようだった。
けれど不思議と、表情には不安や怯えはなく──ただ、**“ここにいない”**感じがした。
「ご家庭では、どんな様子ですか?」
「うーん……とにかく、お兄ちゃんとは全然違うって感じです。
声をかけても返事をしないし、切り替えもできないし……。
“この子なりに”って思うんですけど、やっぱり比べてしまって……」
その「比べてしまって」という言葉が、
言い訳にも、苦しみの告白にも聞こえた。
私は思った。
きょうだい格差とは、単に「できる/できない」の差ではない。
それは──親が誰に“期待していたか”の差なのだ。
母親は続けた。
「この子が最初だったら、たぶん“こんなもんか”って思えたのかもしれないです。
でもお兄ちゃんが“ちゃんと育ってる”って思っちゃってるから……
“なんで同じようにできないの?”って、つい……」
私はうなずいた。
その言葉に、母親自身の戸惑いと、言い切れない罪悪感があった。
「……お兄ちゃんのことで、あまり困ったことがなかったんですね」
「そうなんです。だから、“育児って努力すれば何とかなる”って思ってました。
でもこの子に出会って、初めて、何も通用しない感覚があって……。
私がダメなのかって、思ってしまうんです」
私は、子どもではなく、母親のほうを見た。
その表情の奥には、
“自分が正しい親でいたかったのに、それが崩れていく怖さ”があった。
「きょうだいって、比べないようにしていても、やっぱり無意識に“違い”が浮き出てしまうものですよね。
でも、それは“上の子が正解”という意味ではありません。
“違う育ち方をする人間”なんだ、って受け止めるのは……きっと、想像よりずっと難しいことです」
母親は、少しだけ目を伏せて、うなずいた。
面談の最後、女の子が立ち上がってこちらを見た。
ぼんやりしていたはずの目が、ふいに私を捉えた。
その目は、何も言っていないのに、
「お母さんの話、ぜんぶ聞こえてたよ」と告げているようだった。
私は、小さくうなずいた。
それが、どちらに対してのサインだったのか、よくわからないままに。
面談後、私は記録表に“兄と比べる傾向あり”と書いて、
しばらくペンを置いたまま、動けなかった。
この国では、“優秀なきょうだい”は誇られ、
“育てにくいきょうだい”は、静かに責められる。
親はそれに気づかず、
でも子どもは、ずっと気づいている。
「できない子のほうが、“目の前にいる”って、実感できるんです」
以前、別の家庭で母親が言った言葉が、ふと蘇った。
あのときも、母親は泣いていた。
“上の子のことを褒めすぎた”ことを、今さら悔やんでいた。
私は記録表を閉じ、静かに思った。
支援とは、“気づいていないまま傷つけていたこと”を、
誰かが代わりに言葉にしてあげることなのかもしれない。
でも──それを言うとき、
私はどこまで、誰かの罪を一緒に背負えているのだろう。
第6章 不登校
「もう2週間以上、学校に行ってないんです。
朝になると、起きない。無理やり起こすとパニックみたいになって……。
休ませると、元気なんですよ。ケロッとしてて、スマホもゲームもしてて。
なのに、学校の話になると……黙り込むんです」
彼女は淡々と話していたが、その声の奥には、かすかな怒りが混じっていた。
“ちゃんとしてほしい”“なぜ行けないのか”──そう言いたい感情が、整った言葉に押し込められていた。
中学2年生の男子。
小学校までは普通に通っていた。
進学を機に、急に登校渋りが始まり、そのまま休みがちになったという。
「“理由を言って”って何度も聞いたんですけど、何も言わない。
ただ“行きたくない”って。それだけで……。
先生は“様子を見ましょう”って言うけど、見てる間に落ちこぼれていく気がして……」
彼女の言葉には、子どもに対する不安と、
その不安を支えられない“制度の無力さ”に対する苛立ちが、同居していた。
私は問い返した。
「お子さんは、何か“困っている”ように見えますか?」
「困って……はいないかもしれないです。
家では普通にしてるし、生活も乱れてはいません。
でも、それが逆に腹が立つんです。
“困ってないなら、なぜ行かないの?”って」
私は静かにうなずいた。
そう──不登校の初期に多いのは、“困ってないのに行かない”という違和感。
けれど本当は、“困っていないように見せること”こそが、子どもの最後の抵抗なのだ。
「学校に行かないことを、“問題”だと感じるのは……なぜでしょう?」
「え?」
「子どもが、学校に行かない。
それを“問題”だと決めているのは、どこでしょう? 学校ですか? 社会ですか? お母さん自身ですか?」
彼女は、答えられなかった。
一瞬、視線が泳いだ。
「……わからないです。
でも、行かないって、やっぱりおかしいじゃないですか。
みんな行ってるのに」
私は、彼女のその言葉に、
“おかしい”という判断が、“誰の正しさ”によるものかを考えていた。
子どもは──ただ、合わなかったのかもしれない。
けれど、社会は「合わなかった子」を、“落ちこぼれ”にしてしまう。
それが怖くて、親は必死になる。
“守りたい”という気持ちが、“適応させなければ”というプレッシャーに変わっていく。
「……でも、私も実は、小学校のときに半年くらい行けなかったことがあるんです」
私は、自分の過去を初めて面談で話していた。
そのことを話すかどうか、迷ったが、
彼女の中にある“罪悪感ではない焦燥”に、どうしても他人のまま言葉をかけられなかった。
「朝になると動けなくて、でも誰にも言えなくて。
親は“何があったの?”って何度も聞いてきました。
でも、本当に“何か”があったわけじゃなかった。
ただ、教室の音や雰囲気や、空気そのものが合わなかっただけで──」
彼女は黙って聞いていた。
「でも、あのとき“学校に行けない=悪いこと”って決めつけられなかったら……
もっと早く、回復できたかもしれないなって思います」
私はそう言って、彼女の表情を見た。
少しだけ、眉が緩んでいた。
「……そのうち行くようになりますかね?」
「誰かと同じスピードじゃなくても、いいんじゃないでしょうか。
“どんな状態でもここにいていい”って思える場所があれば、
子どもはちゃんと、“自分のタイミング”で動き出しますから」
彼女は、深くうなずいた。
その動作の中に、“納得”ではなく、“諦めではない受容”の気配があった。
面談後、私は記録表に「無理な登校支援は希望せず」と書いて、
その言葉が、親ではなく、私自身に向けられたもののように思えた。
“適応できない”のは、
本当にこの子だったのだろうか。
それとも、
“適応させようと焦る社会”のほうが、壊れているのだろうか。
第7章 教育熱心な親
「この子、勉強は好きなんですよ。でも、集中力が続かなくて。
塾も家庭教師も試したんですけど、結果が出なくて……」
母親はそう言いながら、ノートのコピーや模試の結果を机の上に並べていた。
隣にいる小学4年生の男の子は、無言で椅子に座っている。
テーブルの端で、鉛筆をくるくると回している指だけが動いていた。
「将来の選択肢が広がるように、今のうちから基礎をしっかりって思ってて……。
うちは特に裕福な家庭じゃないから、できる限りの投資は今しかできないんです」
彼女の言葉には、「親としてできることはしている」という自負と、
その裏にある“焦り”が滲んでいた。
私は資料に目を通しながら、男の子の様子を観察していた。
表情は乏しいが、時折こちらを横目でうかがっている。
大人の会話の中で、自分の名前が出るたびに、体がわずかにこわばる。
「学校の方では、何か困っている様子はありますか?」
「いえ、特には。先生からも“真面目な子”って言われます。
でも、“自分から動かない”とか“反応が薄い”って……。
そこが気になっていて。
もっと、積極性というか、“目標に向かう力”を育てたいんです」
私はその言葉に、ひとつだけ返した。
「目標は、お子さん自身のものですか?」
母親は一瞬、言葉に詰まった。
そして、ゆっくりとした口調で答えた。
「……いえ、私が、与えたものです。
でも、自分で決めるにはまだ早いと思うんです。
だから、“これがいい”って道を、私が示して……」
彼女の声は、次第に小さくなっていった。
私は男の子に視線を戻した。
彼は、鉛筆の回転を止め、こちらをまっすぐに見つめていた。
その目には、「わかっている」ことが、はっきりと宿っていた。
教育とは、未来のために今を使うこと。
でも、子どもにとって“今”は、今しかない唯一の時間だ。
それを誰かが“未来のために使わせている”とき、
子どもは、“今を誰にも渡せないまま”、
静かに自分を手放していく。
「お子さん、何か“好きなこと”はありますか?」
「……あまり言わないですね。
でも昔は、絵を描くのが好きだった気がします。
あ、でも今はもう時間がないから……」
母親は、思い出すように語ったが、すぐに打ち消した。
面談が終わる頃、私は男の子にだけ静かに声をかけた。
「……描かなくなっただけで、“好き”がなくなったわけじゃないと思うよ」
彼はうなずきもしなかったが、
その目は少しだけ、長くこちらを見ていた。
面談後、私は記録表に「保護者の期待強め」「本人の自己表現低下」と書いて、
その言葉が、私の過去にも少し重なる気がして、しばらくペンを置いた。
教育熱心な親は、
子どもを“守っている”と思っている。
けれどその守りが、
“決められた正しさ”で子どもを囲うことだったとしたら──
それは、本当に守っていたのだろうか。
第8章:映るために、生まれた
「実は……ちょっと変な相談かもしれないんですけど」
彼女はそう前置きしながら、スマホの画面を伏せた。
「最近この子が、カメラを向けるとすごく嫌そうな顔をするんです。
前はもっと楽しそうに笑ってくれてたのに……。なんだか急に、目を合わせてくれなくて」
1歳になったばかりの息子は、ベビーカーの中でおとなしくしていた。
その横で彼女は、やや早口で続けた。
「この子は将来、芸能界に行かせるつもりなんです。今はInstagramが3万人くらいフォロワーいて、企業案件もちょこちょこ入ってきてて……」
「でも最近ちょっと、無理させすぎてるのかなって思って。
本人がやりたいって言ってるわけじゃないから、親がどうしていいか分からなくなっちゃって」
言葉とは裏腹に、彼女の指はスマホを無意識にいじり続けていた。
「でも……」
「将来この子が困らないように、今から稼げるならそうしてあげるのが親なんじゃないかって、思うんです」
「好きなことだけじゃ、生きていけないじゃないですか」
──彼女の言葉は、どこか自分に言い聞かせるように響いた。
「子どもの意思って、どこにあるんでしょうね?」
私がそう返すと、彼女は少し黙ってから口を開いた。
「だって、今の時代って、自分から発信しないと埋もれちゃうじゃないですか」
「この子には、可能性を広げてあげたいんです。
努力すれば、将来の選択肢も増えるし……」
──まるで、“親が先に戦場に立ってる”ような言葉だった。
支援者として、私はできるだけ穏やかに伝えた。
「お母さん自身が不安と闘っていること、私は否定しません。
でも、“子どもが戦いたがってるかどうか”は、常に立ち止まって確認してくださいね」
「映えることと、生きることは、同じじゃありませんから」
彼女は何かを言いかけて、やがて静かにスマホを伏せた。
家に帰って、私はふと考える。
自分だって、娘の笑顔をSNSに載せていた時期があった。
「可愛いね」「素敵な親子」と言われることで、育児の苦しさをごまかしていたのかもしれない。
でも──
あの子の笑顔は、いつから“誰かに見せるためのもの”になっていたのだろう。
いや、最初からだったのかもしれない。
今日もまた、「見られるための育児」が、静かに進行している。
──そして、見られることに疲れた子どもたちが、
自分の意思で“オフ”を選べる日は、いつ訪れるのだろうか。
──今日も誰かが、映るために生まれてしまう。
第9章:優等生の声は、静かだった
「うちの子、最近すごく静かで……。学校では優等生って言われてるらしいんですけど、
家では、何考えてるのか分からないくらい無口で」
そう言って彼女は笑った。
口元だけが笑っていて、目の奥はどこか怯えているようだった。
「でも成績はいいんです。中学受験も見据えて塾に通わせてて、模試では上位に入ってます。
だから、“問題ない”と思ってるんですけど……でも、何かがおかしい気がして」
──彼女は相談に来たはずなのに、自分の言葉に自信が持てていないようだった。
話を聞いていくうちに、私はひとつの違和感に行き着いた。
彼女は「子どもがどうしたいか」を一度も語っていなかった。
「でも、今の時代って、学歴がすべてじゃないですか?」
「子どもの可能性を広げてあげたいんです」
「自分の親には、学歴で判断されてきたから……私は、そうなってほしくなくて」
その声には、かすかに震えがあった。
“私は違う”と言いながら、誰よりも“同じ道”をなぞっているように聞こえた。
「その子自身は、何を望んでいますか?」
私がそう尋ねると、彼女は答えに詰まった。
「……え?」
たぶん、その問いを、考えたことがなかったのだ。
帰り際、私はできるだけ柔らかく言葉を添えた。
「勉強ができることは、すばらしいことです。
でも、その努力が“誰のためか”を見失うと、
その子は“自分が誰か”も見えなくなってしまいます」
彼女は軽くうなずいて帰っていった。
後日、その子の姿をふと見かけた。
成績上位のクラスにいて、ノートはきれいで、忘れ物もない。
先生にも友達にも礼儀正しく、叱られることはない。
ただ──その目に、光がなかった。
「この子、すごいね」「優秀だね」「えらいね」
周囲からかけられる称賛の言葉を、
彼は、感情のない笑顔で静かに受け止めていた。
──今日もまた、
“誰かの理想”の中で、ひとりの子どもが、
静かに息をひそめて生きている。
第10章:誰の助けも届かない
「……生活は、なんとか回ってるんです。
正社員になれたので、保育料も軽減されて。
ありがたいんです、すごく」
そう言いながら彼女は、紙コップのコーヒーを両手で包み込むように持っていた。
「でも……毎月、ギリギリなんですよね。急に熱を出されたりすると、もう全部崩れて。
上司にも、“また?”って顔されるし。代わってくれる人も、だんだん嫌な顔をするようになってきて」
──支援制度があっても、「働く」と「育てる」が交互に崩れていく。
それを一人で支え続ける彼女の声は、とても小さかった。
「支援に申し込んだり、相談に行ったりはされてますか?」
そう尋ねると、彼女は曖昧に笑った。
「……はい。でも、“今の収入なら対象外”って言われました。
あと、“お子さんも保育園に通ってるし、安定してますよね”って。
たしかに、“条件”では、私は“困ってる人”に入らないのかもしれないけど……」
彼女は目を伏せた。
「毎日、綱渡りなんです。
ちょっと誰かが転んだら、もうダメになるって分かってる。
でも、それって“困ってる”って言っていいんでしょうか?」
私には、返せる言葉が少なかった。
「支援の“線引き”って、いつもギリギリなんですよね。
本当は“困ってます”って言える人より、“言えない人”のほうが多いのに」
彼女は、ようやく少しだけ表情を緩めてくれた。
──制度は、助ける“べき人”を選ぶ。
でも、“選ばれなかった人”の孤立には、誰も気づかない。
私自身も、「あなたは対象外です」と伝える側にいたことがある。
書類と数字で、誰かを“困ってないことにする”ことに、慣れてしまっていたのかもしれない。
今日もまた、
助けられない誰かが、助けを求めないまま、
社会のすきまに、ひっそりと沈んでいく。
第11章:ほしかったわけじゃ、なかった
「……私、もともと子ども、欲しくなかったんです」
そう言った彼女の声は、とても小さかった。
カフェの周囲の雑音にまぎれるほどの音量で、それでもはっきりと、私の胸に刺さった。
「でも、“年齢的にそろそろ”って言われて。
結婚して3年目だったし、周りもそういう感じだったから……。
自分の気持ちより、“流れ”を優先しちゃったんですよね」
彼女はストローでアイスコーヒーの氷をかき混ぜながら、ずっと目を伏せていた。
「産んだら、何か変わるかなって思ってたんです。
“産めば分かる”って、いろんな人に言われたから」
──でも、変わらなかった。
「もちろん、この子は可愛いんです。可愛いって思おうと努力してる。
だけど、朝起きると最初に思うのが“ああ、今日も一日が始まった”で。
声をかけられると、反射的に“ああ、返さなきゃ”って思って」
その目には涙もなく、怒りもなかった。
ただ、ひどく疲れているように見えた。
「育児って、“誰のもの”なんでしょうね?」
彼女がふと、笑うように言った。
「私がちゃんと愛せないのは、母親失格ですか?
それとも──“母親じゃなかった私”のままでいたかったって言ったら、
やっぱり、責められますか?」
私は、言葉を選びながら答えた。
「愛せないことと、愛そうとしてることは、違います。
どちらも、あなたがしてることには変わりありません。
ただ、“母になれなかった自分”を、
“なって当然”という社会が押しつぶしてしまうことが、一番つらいことだと思うんです」
帰り際、彼女は小さくつぶやいた。
「……ほんとはね、
今の私を、誰かに“そうだよね”って言ってほしかっただけなのかもしれません」
──今日もまた、
“母であること”の正解を探して彷徨う誰かが、
“母になりきれない自分”を責め続けている。
第12章:正しさは、口に出さない
「最近、義母が頻繁に来るんです。
“ちょっと様子を見に来ただけよ”って言うんですけど、
帰るたびに、私の育児に一言なにか置いていくんですよね」
そう言って彼女は、少しだけ笑ってみせた。
けれど、その目元は明らかに疲れていた。
「“まだ母乳あげてるの?”とか、
“外に出さないから夜泣きするのよ”とか……。
もう、毎回“うちの息子のときは〜”って話が始まるんです」
──彼女の声には、怒りよりも呆れがにじんでいた。
「自分のときと違うのはわかるって、義母も言うんです。
でも“違う”っていう言葉のあとに、
必ず“でもね”が続くんですよ。
違いを認めたように見せて、最後には“でも正しいのは私”っていう空気で締めてくる」
私は、黙って頷いた。
義母との関係性は、支援者として最も踏み込みにくい領域のひとつだ。
それが“実母”ではなく“義母”であるとき、
そこには夫という“共通の存在”を介した緊張のグラデーションが生まれる。
「義母の言ってること、たしかに“間違い”ではないと思うんです。
でも、正しいことって、
なんであんなに人を追い詰めるんでしょうね?」
彼女の問いは、静かだった。
「“そんなに神経質にならなくていいのよ”って、
“私も一人で育てたんだから”って、
“気にしすぎるのが一番よくない”って……」
「なんで、“気にしてる今の私”は、一度も認められないんでしょうか」
私は、言葉を選んで返した。
「“あなたのやり方もある”って言葉と、
“私のときはね”って言葉は、似ているようで、全然違うんです。
片方には“手渡す意志”があって、
もう片方には、“奪い返す意志”がある」
彼女はしばらく沈黙したあと、小さく「そうですね」と言った。
帰り際、彼女がぽつりとつぶやいた。
「……私は“違ってても、あなたの育児だよ”って、
一度だけでいいから、言ってほしかったのかもしれません」
──今日もまた、“正しさ”という名のやさしさが、
ひとりの母親の声を、小さくしていく。
第13章:わたしの育て方は、あなたに何を与えたか
娘と、久しぶりに長く話した。
十八になった彼女は、もう私の手を必要としていないように見える。
大学進学も決まり、自分の時間を、自分の言葉で切り拓いているようだった。
でも、話しながらふと思った。
私は、この子の何を知っているんだろう、と。
「お母さんは、仕事が好きだったよね」
そう言った娘の声に、私は思わず言葉を詰まらせた。
「いつも誰かの相談に乗ってて。
“ありがとう”って言われてるお母さんを見て育ったから、
私もずっと“そういう人にならなきゃ”って思ってた」
──“そういう人”?
「私が困ったとき、“お母さんは他の人を助けてた”。
……たぶん、それが寂しかったのかもしれない」
私は、彼女の目をまっすぐに見つめた。
育児アドバイザーとして、
たくさんの親と子に言葉を届けてきた。
でも──“我が子に届いていた言葉”は、
いくつあったのだろうか。
「あなたに、私の育て方は……
何を、与えたんだろうね」
ぽつりと、そう口にした。
娘は少し考えて、笑った。
「“人のために我慢すること”を、うまくなる方法……かな」
「でもね、
“我慢しないで言っていいんだよ”って、
最近やっと、自分で言えるようになった」
私は、その笑顔を見て、
どうしようもない感情が胸にこみ上げた。
──この子が、
“母の正しさ”を壊して、自分で自分を守れるようになったことが、
誇らしくて、苦しかった。
今日もまた、問いが残る。
「育てる」とは、「何を与えるか」だけでなく、
「何を奪わないか」でもあったのかもしれない。
──そして、育児の正解は、
子どもが旅立ったあとの「静かな答え合わせ」でしかないのだ。
補章:伝えられなかった「わたし」へ
子どもの頃、私は“良い子”だった。
わざとそうしていたつもりはなかったけれど、
お母さんはいつも、私をまっすぐに見ていた。
真剣に、まじめに、全力で“ちゃんと育てよう”としていた。
だから私は、なるべく困らせないようにしようと思った。
小学校に上がってから、だんだんとお母さんが外で活動を始めるようになった。
「誰かの力になれるかもしれない」と言っていた姿を、私はうっすら覚えている。
そのころから、家の中に“誰かの声”がよく聞こえていた。
電話の向こう、パソコンの向こう、ノートの向こう。
「お母さん、すごいね」「いろんな人の力になってるね」
そう言われるお母さんは、ちょっと誇らしかった。
でも──“わたしの困りごと”は、
なんとなく「もう自分で解決するべきこと」に見えてきた。
誰にも相談しなかった。
相談しないことが、“成長”だと勘違いしていた。
自分のことは、自分でやるのが当たり前。
泣かない、迷わない、間違えない──
いつの間にか、そんなふうに思い込んでいた。
中学生になると、だんだんとお母さんは“相談される人”として忙しくなっていった。
誰かの話を聞く姿は、ほんとうに立派だった。
けれど、どこかで私はこうも思っていた。
──私は、“もう相談しなくていい人”として見られてるのかもしれない。
でも、大人になった今なら、やっと少しだけ言える。
お母さん、
あなたは“正しい言葉”を、たくさんの人に届けていた。
でもね、私は、“不完全なままでも届いてほしかった言葉”のほうが、
嬉しかったかもしれない。
「気づけなくてごめんね」じゃなくて、
「今さらだけど、気になってるよ」って、
たとえぎこちなくても、そんな一言がほしかった。
あなたが背負ってきたものを、私は否定しない。
ただ、私にも私の重さがあったことを、
どこかのタイミングで思い出してくれたら──それで十分なんだ。
──私は今、ちゃんと笑える。
ちゃんと自分の声で、言いたいことを言える。
それは、あなたがくれた“言葉の居場所”を、
ようやく、自分のために使えるようになったから。
