「恵まれてない」と言いながら、配られてるものは踏みつけてる話
最近よく思うんだけどさ、「恵まれてない」って言葉、やたらと聞くわりにその人が“すでに持ってるもの”って、ほぼ見られてないよなって。
別に精神論とかじゃなくて、もっと構造の話。
まず前提として、人間ってある程度“等しく配られてるもの”がある。
健康、時間、身体機能、動けること。
こういうのって、誰かが特別に与えたわけでもなく、ほぼ全員に“前提条件”として配られてる。
で、これ何かっていうと生活や選択の土台になるインフラなんだよね。
でもこのインフラ、ほぼ完全に空気扱いされる。
理由はシンプルで、
比較しにくい
差が見えにくい
すぐ結果が出ない
つまり、価値として認識しにくい構造になってる。
で、その代わりに何が評価されるかっていうと、
希少なもの
分かりやすく目立つもの
今すぐ変化を感じられるもの
要するに、“差が見えるもの”。
ここでおかしなことが起きる。
本来は、 必須なものほど重要のはずなのに、
現実は、 希少なものほど重要扱いになる。
この時点で、評価軸が逆転してる。
で、この逆転の一番分かりやすい例が“健康”。
普段は、
何も感じない
特別でもない
意識もしない
ほぼ無価値扱い
でも一度壊れると、
動けない
痛い
制限される
一気に最重要になる
つまり、 価値は最初からあったのに、認識されてなかっただけ
ここでさらにややこしいのが、人は「失った後の価値」を“新しく生まれた価値”だと錯覚すること。
本当は違う。
元から最大価値だったものに気づいただけ
なのに、その前段階では普通に踏みつけてる。
だから、「恵まれてない」って言葉が出てくる時って結構な確率でこうなってる。
持ってないものは見てる
持ってるものは見てない
これ、別に個人の性格の問題じゃなくて、
完全に構造の問題。
人間は、差があるものしか価値として認識できないから、差がない(ように見える)ものは無価値扱いする
でも現実は逆で、差がないように見えるものほど土台だから結局こうなる。
土台は軽視される
上に乗ってるものだけ評価される
で、土台が壊れた瞬間に全部崩れる。
一番皮肉なのはここで、等しく配られてるものって、全部“必要不可欠だから配られてる”
なのに、等しいから価値が低い扱いになる
完全にバグってる。
結局のところ、「重要なもの」と「評価されるもの」は一致してない
だから、「恵まれてない」って言葉を使う前に
一回だけでもいいから考えた方がいい。
今踏みつけてるそれ、本当に“無価値”か?
たぶん一番大事なものって、無くなるまで気づかれないものなんだと思う。
