「思った通りにならなかった」は失敗なのか
「寸指測淵」という言葉がある。
一寸ほどの指で深い淵を測ろうとするような、浅はかな行動を戒める言葉らしい。
しかし、私は少し違和感がある。
未知の淵を測るとき、人は何で測ればいいのだろう。
自分の経験。
自分の知識。
自分の技術。
結局、自身の尺度で測るしかない。
それを後から見て、
「浅はかだった」
と言うのは簡単だ。
だが、その評価は結果を知っている側の言葉である。
挑戦する側は、結果を知らない。
もし結果が分かっているなら、それは挑戦ではない。
ただの再現である。
「思った通りにならなかった。」
多くの人はこれを失敗と呼ぶ。
しかし、本当にそうだろうか。
思った通りにならなかったということは、
「思った通りにはならない」
という結果を得たということでもある。
未知だったものが、一つ既知になった。
挑戦とは、未知を既知へ変える行為だ。
成功か失敗かは、その後に人が貼るラベルに過ぎない。
本当に何も得られないのは、
挑戦しなかった人かもしれない。
挑戦した人は、
望んだ結果ではなくても、
少なくとも結果を得ている。
一方、挑戦しなかった人は、
成功も失敗も経験せず、
未知のまま立ち尽くしている。
だから私は、
「思った通りにならなかった」
ことを失敗とは思わない。
そこから何も見出せなかったとき、
初めて失敗になるのではないか。
そして、未知を自分の尺度で測ろうとした者を、
結果だけを見て「浅はか」と笑う権利は、
誰にもないのだと思う。
