違和感を削除した先に、人は何を感じるのか

最近、
ショート動画の改善手法として、

  • フックを強化する

  • 冒頭数秒で惹きつける

といったもの以外に、

「離脱ポイントを特定して削除する」

という考え方を見かけた。

確かに合理的だと思う。

人は違和感や不快感を覚えた瞬間に離脱する。
ならば、その“離脱の原因”を消せばいい。

実際、
この手法はかなり効果があるのだろう。

違和感が減れば、
視聴者は離脱しにくくなる。
滞在時間も伸びる。

だが同時に、
私は別のことも感じた。

それは、

「気になる」「引っかかる」

という感覚まで消えているのではないか、
ということだ。

本来、
人が何かを深く認識する時、
そこには小さな摩擦がある。

  • 違和感

  • 不快感

  • ノイズ

  • 未解決感

そういった“引っかかり”によって、
人は立ち止まり、
比較し、
解釈し、
思考を始める。

つまり、
違和感とは単なるノイズではなく、
思考の起点でもあった。

だが、
離脱ポイントを徹底的に削除すると、
作品は環境へと溶け込んでいく。

快適で、
スムーズで、
流しやすい。

しかしその一方で、
認識に摩擦が生まれなくなる。

作品は、
「見るもの」ではなく、
背景へと変化していく。

まるで、
環境音のように。

よく現代人は
「刺激を求めている」
と言われる。

だが実際には、
人は刺激そのものではなく、

“変化”

を求めているのではないだろうか。

違和感を覚え、
立ち止まり、
比較し、
自分の中で何かが変化する。

人はその過程の中で、
「生」を実感していたのかもしれない。

ここでいう「生」とは、
単なる生命活動ではない。

思考が動き、
認識が変化し、
自分の内部で何かが更新される感覚のことだ。

だからこそ、
違和感や不快感は、
単なる邪魔なものではなく、
生を認識するための摩擦でもあった。

長文が読めなくなるという現象も、
これと無関係ではない気がしている。

長文を読むという行為は、
単に文字を追うことではない。

  • 前後関係を保持し

  • 比較し

  • 解釈し

  • 自分の中で意味を変化させる

という行為だ。

つまり、
“変化を保持する力”が必要になる。

だが、
即時反応だけで成立する環境が続くと、
人は“保持する必要”そのものを失っていく。

すると、
長い文脈を維持できなくなる。

そしてさらに、
短周期で即時反応できる刺激を求めるようになる。

これは単なる集中力低下というより、
環境への適応なのかもしれない。

もし、
違和感や摩擦を排除し続けた先で、

  • 思考する必要もなく

  • 保持する必要もなく

  • 解釈する必要もなく

ただ刺激へ反応するだけになった時、

人は何によって
「生」を感じるのだろうか。

あるいは既に、
私たちは“考えること”ではなく、
“反応すること”によって、
生を確認する生き物へと変化し始めているのかもしれない。

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