装認作様 ― 見栄の時代から認知の時代へ

「装模作様」という四字熟語がある。
意味は「表面を飾り、見栄を張ること」。
現代人もこの言葉を見れば、おそらく「虚飾」や「ハッタリ」を思い浮かべるだろう。
しかし、私はこの言葉が現代社会を説明するには少し足りないように思う。

なぜなら現代人は、必ずしも見栄を張るために着飾っているわけではないからだ。
むしろ目的は別にある。
認知である。


見栄社会から認知社会へ

かつての社会では、見栄とは近所や共同体の中での立場を示す行為だった。
大きな家を建てる。
高価な着物を着る。
立派な肩書きを持つ。
それらは周囲の人々に対して「私はこれだけの人間だ」と示すためのものだった。

しかし現代では事情が異なる。
SNSの世界では、まず認知されなければ存在しないのと同じだからだ。
どれほど優れた作品も、
どれほど深い思想も、
どれほど価値のある発見も、
誰にも見つけられなければ存在していないのと変わらない。
そのため人々は着飾る。
だがそれは見栄のためではない。
認知されるためである。


装認作様

そこで私は新しい言葉を考えた。
装認作様。
認知されるために様式を作り、装うこと。
これは現代社会の行動原理を表しているように思う。
SNSのプロフィール。
サムネイル。
キャッチコピー。
炎上商法。
ブランド戦略。
これらの多くは「偉そうに見せるため」ではなく、「見つけてもらうため」に存在する。
見栄は認知獲得手段の一部になった。

つまり現代人は見栄を張っているのではなく、認知されるために見栄を利用しているのである。


インフルエンサーが流行る理由

インフルエンサー文化も同じ構造だ。
彼らが価値を持つのは人格そのものではない。
認知の集中点だからである。

人は価値を判断する前に、まず存在を認識する。
認識されない価値は評価されない。
だから認知が先に集まる。

結果として、
認知 → 評価 → 権威
という流れが生まれる。
私たちは権威を評価しているのではなく、認知されたものを評価している場合が少なくない。

認知社会の問題

認知社会には一つの欠点がある。
価値と認知が一致しないことである。
優れた作品が埋もれる。
優れた思想が見つからない。

一方で、認知だけが先行するものも存在する。
認知の獲得競争が激しくなるほど、人々はさらに装認作様へ向かう。
認知されるための人格。
認知されるための発言。
認知されるための作品。
そして本来の目的は見えなくなる。

終わりに

見栄の時代は終わったのかもしれない。
私たちは今、認知の時代を生きている。
だから現代人は装う。
立派に見せるためではない。
見つけてもらうために。
そして、その行為を私はこう呼びたい。
装認作様。
認知されるために様式を作り、装うこと。
現代社会を象徴する、新しい四字熟語である。

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