「ありきたり」とは何か

「ありきたり」という言葉はよく使われる。

ありきたりな音楽。
ありきたりな物語。
ありきたりな風景。
ありきたりな言葉。

けれど、実際に「何がありきたりなのか」は、あまり言語化されない。

珍しいコード進行ならありきたりではないのか。
難しい言葉を使えばありきたりではなくなるのか。
複雑な構造なら独創的なのか。

多分、そう単純ではない。

例えば夕焼け。

夕焼け自体は、昔から無数に描かれてきた。
構造だけ見れば、空が赤いだけだ。

それでも、人によっては情緒を感じるし、
別の人には「よくある景色」に見える。

つまり人は、
“構造そのもの”ではなく、

「そこに何を感じ取ったか」

で評価している。

音楽も同じだ。

どれだけ特殊なコード進行でも、
歌詞が既知テンプレに固定されると、
脳は一気に「知ってるもの」として圧縮する。

逆に、単純な4コードでも、
言葉や視点に観測が宿ると、
急に「誰かの作品」になる。

つまり「ありきたり」とは、
珍しさ不足ではなく、

“解釈運動が停止した状態”

なのかもしれない。

送信者側が、

  • なぜその言葉を選んだのか

  • なぜその接続をしたのか

  • 何を観測していたのか

を持たずに並べれば、
作品は空洞化する。

一方で受信者側も、

  • ラベルだけで判断

  • テンプレ圧縮

  • 高速消費

  • 解釈放棄

をすると、
本来複雑なものも「ありきたり」で終わる。

つまり、

「ありきたり」と感じる瞬間には、

送信者か受信者、
あるいは両方が、
自己解釈を停止している。

生成AI作品が「ありきたり」と言われやすいのも、
ここに理由がある気がする。

AIは大量生成できる。

だからこそ、

「なぜそれを選んだのか」

が存在しないと、
途端に“雰囲気だけ”になる。

逆に、

  • タイトル

  • 歌詞

  • 世界観

  • 接続

  • 継続性

  • 観測視点

が存在すると、
AI生成でも“誰かの痕跡”が残る。

人はそこに、
情緒や個性を感じる。

結局、「ありきたり」の反対は、
奇抜さではない。

多分それは、

「誰かが本当に観測した痕跡」

なのだと思う。

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