アーティストの定義について
──なぜこの言葉はいつも噛み合わないのか
「アーティストは社会不適合者に向いている」
この言い方を見かけるたびに、少しズレていると感じる。
不適合だからアーティストになるわけじゃない。
社会に違和感や摩擦がなければ、そもそも表現は発生しない。
ここで混同されているのは、
アーティストとプロダクト生産者という、まったく別の存在だ。
社会や学校が求めているのは何か
学校や社会が「アーティスト育成」と言うとき、
実際に求めているのはこういう人材だ。
再現可能なアウトプットを出せる
需要に応じて形を変えられる
評価基準に乗る成果を継続的に生産できる
これは表現者ではなく、プロダクト生産者の条件。
善悪の話ではない。
これは立派な職業で、社会にとって必要な役割だ。
ただし、表現とは別物。
アーティスト(表現者)は職業カテゴリに入らない
本来の意味でのアーティストは、
社会に迎合できない
需要から逆算しない
評価される保証がない
出力しないと内部で処理できない
という状態から、結果として表現しているだけ。
だから、
稼げない
認められない
孤独になる
のは失敗ではなく仕様。
アーティストを
「食えるべき職業」「成功すべき存在」と置いた瞬間、
定義が壊れる。
ゴッホの話が決定的な理由
よく「ゴッホは評価されたじゃないか」と言われる。
でもここが重要。
ゴッホの価値が認められた
=ゴッホの表現方法がプロダクト化できた
ではない。
もしゴッホの表現が、
方法として切り出せて
再現可能で
売れると分かった瞬間に量産できる
なら、とっくに産業になっている。
でも実際はそうならなかった。
なぜか。
ゴッホの表現は
技法でも思想でもなく、生き方・精神・破綻の総体だったから。
再現できない。
だから後続がいない。
だから歴史的価値になる。
ここで線が引かれる
ここが、アーティストとプロダクト生産者の分岐点。
プロダクト生産者
売れると分かったらやる
再現できるなら量産する
方法をテンプレ化できる
アーティスト(表現者)
売れるかどうかは関係ない
再現できない
やめたら自分が壊れる
どちらが上でも正しいでもない。
役割が違うだけ。
ただ、この線引きをしないまま
「アーティスト」という言葉を使うから、
話がずっと噛み合わなくなる。
結論
社会が求めているのはプロダクト生産者。
アーティストは、社会に追加する職業ではない。
稼げない
認められない
不適合と呼ばれる
それは欠陥ではなく、定義の外にいるというだけ。
アーティストを
かっこいいラベルとして消費する前に、
一度この線を引き直した方がいいと思っている。
