苦難とは、人生の維持費である

「苦尽甘来」という言葉がある。
苦しみはいつか終わり、やがて幸福が訪れるという意味だ。

しかし、本当にそうだろうか。
苦難が続いたからといって、幸福が保証されるわけではない。

現実には、
苦難の後にまた苦難が来ることもある。
むしろ人生は、存在している限り何かしらのコストを払い続ける仕組みなのではないか。


苦難は維持費

病気は健康を維持するコスト。
老化は生命を維持するコスト。
自然災害は自然界に存在するコスト。
そして社会で感じる多くの苦難は、

  • 地位を維持するコスト

  • 人間関係を維持するコスト

  • 資産を維持するコスト

  • 名誉を維持するコスト

に過ぎない。
人は「維持したいもの」があるから苦しむ。

苦難は主観である

同じ出来事でも、
ある人には苦難、
ある人には実験、
ある人には遊び、
ある人には学習になる。

失敗を失敗と捉えない研究者は、
何百回失敗しても「データが取れた」と考える。
そこに苦難は存在しない。

つまり苦難とは、出来事そのものではなく、
その出来事を失いたくない何かと結び付けたときに生まれる感情なのだ。

他者から与えられる苦難

「耐えろ」
「立場上仕方ない」
「ここまで積み上げたんだから」
そんな言葉で苦難を正当化する場面は多い。
しかし、それは本当に避けられない苦難なのだろうか。

多くは、
「そのポジションを維持したい」
というサンクコストによって生まれているだけかもしれない。
手放せば消える苦難も少なくない。

幸福とは何か

幸福とは、
苦難がゼロになることではない。
存在する限り、維持費は発生する。

幸福とは、
自分が納得して支払える維持費だけになった状態
なのではないか。

だから私は、
苦尽甘来というより、
「苦難とは、人生の維持費である」
と考えている。
外から幸福が訪れるのではない。
不要な維持費を手放したとき、
人はそれを幸福と呼ぶだけなのかもしれない。

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