無何有郷ではない。唯我有郷である。
荘子は「無何有郷」を理想郷とした。
何もない場所。
誰にも利用されず、誰にも干渉されず、役にも立たない場所。
だからこそ自由なのだという。
確かに、その思想は現代にも通じる。
役に立つものほど利用され、
価値があるものほど競争に巻き込まれる。
ならば、何の役にも立たないことこそ最大の自由なのかもしれない。
しかし、私は少し違う。
私にとって理想郷とは、
何もない場所ではない。
私が自由に遊べる場所である。
誰にも干渉されない空間。
誰にも評価を強制されない空気。
市場も、
流行も、
KPIも、
フォロワー数も、
「こうあるべき」も存在しない。
そこでは、私が良いと思ったものだけが存在できる。
私はそこで、
思想を試し、
曲を書き、
仮説を立て、
失敗し、
また壊して作り直す。
何もないことが目的ではない。
他人の価値観が入り込まない余白が必要なのである。
荘子の理想郷は「無何有郷」だった。
しかし私にとっての理想郷は違う。
唯我有郷。
理想郷とは発見する場所ではない。
与えられる場所でもない。
自分自身が自由に遊べる空間を、自分自身で作り続けること。
そこにだけ、
私の理想郷は存在するのである。
