五里霧中は本当に“不安”なのか?
「五里霧中」
この言葉、
だいたい
「先が見えない」
「不安」
「迷ってる」
みたいな意味で使われる。
まあ確かに、
霧の中って見えない。
前もわからない。
道も曖昧。
不安になる。
……
いや、
本当にそうか?
って思った。
五里霧中って、あくまで“霧の中”でしかない
よく考えると、
五里霧中って、
状態描写
なんだよな。
霧の中。
ただそれだけ。
そこに、
「不安」
って感情は、
実は書かれていない。
なのに、
なぜか我々は
霧 = 不安
に直結しがちだ。
でも、
実際の霧って、
そんな単純か?
霧って、幻想的でもある
山とか神社とかで、
霧を見たことある人ならわかると思う。
なんか、
幻想的
だったり、
空気が変わる
感じしたり、
静か
だったりする。
音が吸われる。
空気が柔らかい。
匂いも変わる。
世界の輪郭が曖昧になる。
つまり、
“見えない”だけの状態ではない
んだよな。
むしろ、
感覚が変わる環境
に近い。
不安になるのは、視覚依存だからでは?
ここで思った。
もしかして、
五里霧中で不安になるのって、
視覚に頼りすぎ問題
では?
普段の人間って、
かなり
視覚ゲー
で生きてる。
見えてるから安心。
見えるから判断。
見えるから正解。
でも霧で見えなくなると、
急に
「終わった」
になる。
でもさ。
見えないなら、
音
を見ることもできる。
匂いを感じることもできる。
地面を確認することもできる。
風向きを見ることもできる。
少し待つこともできる。
原因を考えることもできる。
つまり、
視覚以外の判断軸
がある。
五里霧中で問われるのは“意思”かもしれない
晴天なら、
ある意味、
オート運転
できる。
見えるから。
でも霧の中って、
急に
意思決定モード
になる。
右か?
左か?
止まるか?
待つか?
進むか?
つまり、
五里霧中って、判断力の時間
なのかもしれない。
そして現代人は“単一評価”に弱い
ここで急に思った。
これ、
現代そのものでは?
例えば、
数字。
再生数。
フォロワー。
ランキング。
評価。
見えてる時は安心。
でも、
見えなくなった瞬間、
急に不安になる。
なぜか。
多分、
単一評価しか持ってないから
だ。
YouTubeが死んだ。
終わった。
評価されてない。
……本当に?
他に見るものないの?
積み重ねは?
反応は?
世界観は?
再遭遇率は?
長期認知は?
見えるものが消えた時、
全部消えたように感じるのは、
“見えてたもの”しか信じてなかった
からかもしれない。
心眼を極めた達人は五里霧中にならん
ちょっとバカみたいな話をする。
でも割と本質だと思う。
もし、
本当に感覚を鍛えた達人なら、
霧の中でも、
「風向きだな」
とか言いそうじゃない?
つまり、
五里霧中って、環境でしかない。
迷うかどうかは、
依存してる感覚の数
の問題なのかもしれない。
視覚だけなら、
霧は絶望。
でも判断軸が複数あるなら、
ただの霧
になる。
最後に
もしかすると、
五里霧中が怖いんじゃない。
怖いのは、
羅針盤が一個しかないこと
なのかもしれない。
だから、
霧を見て不安になる前に、
少し問い直してみたい。
お前、何に頼りすぎてる?
それ、
本当に視覚だけでいいの?
