尊さでは生活はできない
— 人類はなぜ「尊さ」でコストを支払うのか —
「尊い」
この言葉は、あまりにも便利すぎる。
献血、ボランティア、自己犠牲、誰かのための行動。
そこに対して私たちはこう言う。
「尊い」
でも少しだけ立ち止まって考えてほしい。
尊さで生活はできるのか?
答えは明確だ。できない。
■ 尊さの正体
尊さとは何か。
それは価値ではない。
それは報酬でもない。
支払われなかったコストに貼られるラベルである。
本来、負担には対価が必要だ。
時間を使うなら金銭が
身体を使うなら補償が
リスクを取るなら見返りが
それが自然な構造だ。
しかし社会には
対価を払えない、もしくは払いたくない領域がある。
そのとき登場するのが「尊さ」だ。
■ 尊さは通貨である
人類は昔から同じことをやっている。
支払えないコストを、意味で支払う。
それが
名誉
美徳
神聖
尊さ
である。
つまり
尊さは通貨である。
ただしこの通貨には特徴がある。
実体がない
生活を支えない
発行量に制限がない
価値が保証されない
それでも成立する理由は単純だ。
受け取る側ではなく、与える側が必要としているからだ。
■ なぜ尊さが必要なのか
本来、社会はこうあるべきだ。
負担には対価を支払う
しかし現実には
全員に報酬を払えない
維持コストが高すぎる
制度化すると破綻する
という領域が存在する。
そこで社会はこうする。
「それをやる人は尊い」という物語を作る。
すると何が起きるか。
行動の動機が生まれる
責任の所在が曖昧になる
構造の歪みが見えにくくなる
システムが回る
■ ソフト化された人身御供
極端な話をしよう。
昔、人類は人身御供を行っていた。
社会の安定のために個人が犠牲になる。
それは
神聖な行為
崇高な役割
として正当化された。
現代はどうか。
強制ではない
死には至らない
リスクは軽減されている
しかし構造は似ている。
社会を維持するために、個人が負担を引き受ける
そしてそれに対して与えられるものは尊さである
■ 問題はどこで発生するのか
尊さは悪ではない。
むしろ必要だった。
問題はこれだ。
尊さが「前提」になったとき、システムは歪む。
本来は
任意であるべきもの
余剰であるべきもの
が 必須リソースになる
すると何が起きるか。
やらない人が悪になる
疑問を持つ人が排除される
構造の問題が議論されなくなる
そして最終的に納得が崩壊する
■ 尊さの限界
尊さは万能ではない。
なぜなら
尊さでは生活ができないからだ。
どれだけ称賛されても
どれだけ意味づけされても
現実のコストは消えない
だから今、起きている。
善意が続かない
ボランティアが減る
納得されなくなる
これは人が冷たくなったのではない。
通貨としての尊さが機能しなくなってきているだけだ。
■ 結論
人類は長い間、 支払えないコストを尊さで支払ってきた。
それによって社会は回ってきた。
しかし今、 尊さを前提にしたシステムは限界に近づいている。
必要なのは
尊さを否定することではない
それに依存することでもない
コストをどう分配し、どう可視化するかの再設計である
最後に一つだけ。
尊さは価値ではない。補填である。
そして補填に頼り続けたシステムは、いつか必ず歪む。
