以逸待労は「疲れるまで待つ計略」ではない 「認知資源を枯渇させる計略」である
三十六計の第四計「以逸待労」は、多くの場合、
「敵が疲れるまで待ち、十分に疲弊したところを攻撃する計略」
として解説される。
もちろん戦場では、そのような使われ方をする。
しかし、この説明だけでは本質は見えてこない。
戦略として重要なのは、
疲れるまで待つことではなく、疲れる状況を作ること
である。
では、人はなぜ疲れるのだろうか。
肉体疲労。
精神疲労。
睡眠不足。
焦り。
ストレス。
これらは原因ではなく、結果である。
共通しているのは、
認知資源が消耗している
という状態である。
人間は常に、
「何が正しいのか」
「次に何をすべきか」
「どの情報を信じるべきか」
を処理し続けている。
この情報処理には限界がある。
情報が不足しても認知資源は消耗する。
状況が分からないからである。
逆に情報が多すぎても認知資源は消耗する。
処理しきれないからである。
さらに、
時間制限。
矛盾する情報。
判断の連続。
不確実性。
これらも認知資源を消耗させる。
肉体疲労も同じである。
疲れた身体は、
休息、水分、食料、安全確保など、
生存や回復のための判断を優先させる。
その結果、本来戦略へ使えた認知資源が奪われる。
つまり、
疲労とは、
認知資源の再配分
なのである。
だから以逸待労とは、
単に待つ戦略ではない。
相手の認知資源を消耗させる環境を設計し、
判断力を低下させ、
最適な意思決定ができなくなった瞬間を狙う戦略なのである。
これは現代でも変わらない。
大量の情報。
終わらない会議。
次々に迫る締切。
通知。
マルチタスク。
情報遮断。
これらはすべて、
人間の認知資源を消耗させる。
以逸待労とは、
「人は認知資源が不足すると判断能力が低下する」
という人間理解を利用した戦略なのである。
私は三十六計を、
単なる戦術集ではなく、
人間の認知や意思決定を前提とした戦略体系として捉えている。
囲魏救趙が「外部リソースの再配分」を扱う表計略だとすれば、
以逸待労は「内部リソース(認知資源)の再配分」を扱う裏計略と言えるのかもしれない。
