「販売」という言葉は、もう地雷化している
最近、ある違和感に気づいた。
私はずっと「販売」という言葉を、価値と対価の交換という意味で使っていた。
小ロットで公開すること。
思想ごと提示すること。
寿命を明示し、壊れる前提も含めて出すこと。
それを有償で提供する。
その程度の意味だった。
しかし、どうやら違ったらしい。
「販売」という言葉には、想像以上の期待と幻想が付着している。
販売という言葉が背負っているもの
現代の「販売」には、無意識にこうした前提が乗る。
完成しているべき
安定しているべき
長持ちするべき
誰にでも通用するべき
クレームが出ない水準であるべき
しかし、現実はどうだろうか。
不良ゼロの製品など存在しない。
永続耐久など幻想に近い。
多くの製品は改良前提で流通している。
実態は未完成で、常に更新途中だ。
それなのに、「販売」という言葉だけは
完成神話を背負ったまま機能している。
この乖離が、歪みを生む。
私がやっていることは何か
私は、
・寿命を明示し
・壊れる前提を提示し
・構造を公開し
・思想ごと出している
これは完成保証型の商品ではない。
参加型の公開であり、構造の共有であり、実験的なエディションの提示だ。
しかし「販売」という言葉を使った瞬間、完成保証型の文脈に押し込められる。
その瞬間に、ズレが生まれる。
販売という幻想
多くの人は「販売」という言葉を軽く使う。
note販売。
ハンドメイド販売。
EC販売。
だが無意識では、そこに一定の保証幻想が乗っている。
実態と期待の差は広がる一方なのに、言葉だけが重くなっている。
それは地雷だ。
踏んだ瞬間に、完成幻想のフィールドに引きずり込まれる。
だから私は、この言葉を使わない
私がやるのは販売ではない。
リリースであり、
バッチであり、
エディションであり、
構造の提示だ。
価値観の共有だ。
販売という言葉が過剰な期待と幻想を内包している以上、私は安易にそれを使わない。
言葉は設計である。
設計がズレれば、意味もズレる。
だから私は、言葉の設計を変える。
