慰めという軸の奪い合い
SNSを見ていると、こんな場面をよく見かける。
誰かが何かを分析して書く。
すると返信欄にはこういう言葉が並ぶ。
「大丈夫?」
「無理しないで」
「休んだほうがいいよ」
一見すると優しさのように見える。
しかし、ここで起きていることは少し違う。
それは「慰め」ではなく、軸の移動である。
会話には本来「軸」がある
会話というのは本来こういう構造をしている。
相手の軸
↓
確認
↓
理解
↓
返答
つまり、会話の出発点は相手の軸を確かめることにある。
相手が何を言っているのか。
何を軸に話しているのか。
そこを確認してから、ようやく返答が成立する。
SNSでは軸が移動する
しかしSNSではしばしば違うことが起きる。
相手の軸
↓
自分の理解フレーム
↓
軸の移動
↓
返信
たとえば、
「創作の構造」を語っている文章が
「悩み相談」に変換される。
分析が愚痴になり、観察が弱音に変わる。
ここでは会話が成立しているように見えて、実際には別の話が始まっている。
慰めという行為
慰めという行為は本来こういうもののはずだ。
相手の感情
↓
理解
↓
寄り添う
しかし実際にはこうなっていることが多い。
相手の言葉
↓
想像で補完
↓
慰め
つまり起きているのは理解ではなく、置き換えである。
軸の奪取
このとき何が起きているか。
それは
相手の軸
↓
自分の軸
への移動である。
相手が話しているテーマは消え、代わりに「自分が理解しやすい物語」が置かれる。
すると会話は
相手 ↔ 相手
ではなく
自分 ↔ 自分
になる。
なぜこうなるのか
理由は単純だ。
理解することはコストが高い。
しかし慰めることは簡単だからだ。
相手の軸を探るには時間がかかる。
だが「大丈夫?」と言うのは一瞬で済む。
そしてSNSは速い反応を好む。
その結果、理解よりも「安全な共感」が選ばれやすくなる。
優しさとは何か
しかし本来、優しさとは軸を奪うことではない。
優しさとは、相手の軸を確かめることではないだろうか。
何を言っているのか。
何を軸に話しているのか。
そこを確認する。
それだけで、会話はずいぶん変わるはずだ。
