「格物致知」は本当に「知識を磨き上げること」なのか

「格物致知」を調べると、多くの解説では、
「物事の本質を追求し、知識を磨き上げること」
と説明されている。
しかし、この「知識を磨き上げる」という表現には、以前から少し違和感があった。


「磨き上げる」は何を意味しているのか

「磨く」という言葉は、

  • 最適化する

  • 洗練する

  • 効率化する

  • 完成度を高める

といったニュアンスを持つ。
つまり、すでに存在しているものを改善する行為である。
これは現代社会では非常に評価される。
KPIを改善する。
UIを磨く。
AIモデルをチューニングする。
SNS運用を最適化する。
どれも重要な営みだ。
しかし、それは「格物致知」が本当に言いたかったことなのだろうか。

格物が先、致知は後

『大学』には、
「致知在格物(知を致すは物に格るに在り)」
という一節がある。
つまり、
知に至る方法は、物事を究めることにある。
という意味である。
ここで重要なのは順序だ。
まず対象を探究する。
その結果として知に至る。
知識を磨くことが先ではない。
知は探究の結果なのである。

現代は「格物」より「研磨」を評価する

現代社会では成果が数値化される。
改善率。
効率。
売上。
再生数。
CTR。
こうした指標は「磨き上げる」ことによって改善できる。
しかし、
「そもそも何を追究するべきなのか」
という問いには、すぐには利益が生まれない。
だから探究は軽視されやすい。
気付けば、
「対象を究める」
よりも、
「既存のものを改善する」
ことばかりが評価される社会になっている。

私が感じた違和感

だから私は、「知識を磨き上げること」という説明に違和感を覚えた。
それは誤りというより、
現代の価値観が古典の解釈にも反映されているように見えるからだ。
「格物」の重心が薄れ、
「知」や「成果」の方へ視線が移っている。
本来、
格物致知とは、
知識を目的とする言葉ではなく、
探究を起点とする言葉だったのではないだろうか。

探究は効率が悪い

探究は時間がかかる。
答えが出る保証もない。
利益になる保証もない。
だから現代では効率が悪いと見なされる。
しかし、人類の大きな発見の多くは、この「効率の悪い探究」から生まれてきた。
最適化は価値を広げる。
しかし、新しい価値そのものを生み出すのは探究である。
だから私は、「格物致知」という四字熟語は、
知識を磨くことではなく、
物事を徹底して追究することで、知は自然と至る。
という順序を忘れないための言葉なのだと思う。

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