「粗製」とは品質の低さなのか
「粗製濫造」という言葉がある。
一般には「品質の低いものを大量生産すること」とされる。
しかし、本当にそうだろうか。
私は「粗製」とは品質ではなく、本質的価値の問題ではないかと思う。
現代の製品は非常に高品質である。
精密に作られ、高機能で、故障率も低い。
それでも毎年のように新製品が発売される。
カメラ性能が少し向上した。
AI機能が一つ追加された。
色が増えた。
ロゴが変わった。
もちろん改良そのものを否定するつもりはない。
しかし、その変更は本当に消費者のためなのだろうか。
それとも、
KPIを達成するため
市場で話題になるため
株主へ成長を説明するため
「毎年新製品が出る」という期待を維持するため
なのではないだろうか。
もし後者なら、それは「価値を生む開発」ではなく、「開発したという事実を生む開発」である。
そしてこれはサステナビリティとも矛盾する。
長く使える製品を作ると言いながら、毎年買い替えを促す。
環境配慮を掲げながら、「新しいこと」に価値を与えるマーケティングを続ける。
壊れていないものを「古い」と感じさせる。
私はこれも一種の「粗製」ではないかと思う。
粗製とは、作りが粗いことではない。
目的が粗いことである。
存在意義が薄いものを、市場都合で大量に生み出す。
それは工場の技術力とは無関係に、「思想としての粗製」である。
だから私は、「粗製濫造」という言葉を現代的に再解釈したい。
粗製とは品質の低さではない。
本質的価値の低さである。
