「盗むな」と言いながら、社会から盗んでいないか

「盗むな」という言葉は強い。
誰もが正しいと思い、疑わない。

だが、その言葉を使うとき、
本当にその意味を考えているだろうか。


独占はどこから来たのか

世界は本来、共有から始まっている。

言語も、文化も、アイデアも、
誰か一人のものではない。

それを切り取って「これは自分のものだ」とする。
これが所有だ。

そしてその所有をさらに強くしたものが独占である。

独占は簒奪に近い

独占とは、単に持っていることではない。

他者のアクセスを制限することだ。

つまり

共有されていたものを、他者から切り離す行為

これは構造的には、

社会からの切り取り

に近い。

言い換えれば、

独占は、形を変えた簒奪である


「盗むな」との矛盾

ここで奇妙なことが起きる。

独占を前提とした社会の中で、
人は「盗むな」と言う。

しかしその「盗むな」は、

すでに切り取られたものを守るための言葉

になっていないか。

もしそうなら、

「盗むな」と固定すること自体が、
社会からの切り取りを正当化している

ことになる。

問題はコピーではない

コピーは、共有に近い行為だ。

問題になるのは、

コピーそのものではなく、
どこまでを囲い込むかという構造

である。

オリジナルの起点が認識されるなら、
コピーは必ずしも破壊ではない。

むしろ流れを維持する行為でもある。

結論

独占は、それ自体が簒奪的な構造を持つ

そして

「盗むな」という言葉が、その構造を固定するために使われるとき、
それは社会からの切り取りを正当化する装置になる

「盗むな」という言葉は正しい。
だが、その使い方が正しいとは限らない。

本当に問うべきは、

何が盗みなのか

ではなく、

何を切り取り、何を固定しているのか

なのかもしれない。

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