「一次創作は流行らない」というパワーワード
「一次創作は伸びない」
SNSで創作活動をしていると、わりと普通に聞く言葉である。
オリジナルキャラクターは伸びにくい。
オリジナル曲は聴かれにくい。
オリジナル漫画は読まれにくい。
だからまず二次創作をする。
流行しているジャンルに乗る。
人気IPを描く。
トレンド音源を使う。
そこでフォロワーを増やしてから一次創作を出す。
あまりにも普通に語られているので違和感を持たなくなっている。
でも、改めて考えるとすごい言葉である。
「一次創作は流行らない」
創作の源泉が流行らないのである。
二次創作が強いのは当たり前
二次創作そのものを否定したいわけではない。
むしろ二次創作が強い理由は非常に分かりやすい。
既にキャラクターを知っている。
既に世界観を知っている。
既に作品への感情がある。
既にファンコミュニティが存在する。
一枚のイラストを見ただけで、
「あ、このキャラだ」
と認識できる。
一次創作にはそれがない。
「誰?」
「何の作品?」
「どういう世界?」
すべてゼロから説明しなければならない。
だから短時間のクリック率や滞在時間、いいね率などを競わせれば、既知のIPが有利になるのは当然だ。
問題は二次創作が人気になることではない。
一次創作と二次創作を同じアテンション市場に放り込み、その数字をそのまま作品の価値のように扱ってきたことだ。
昔はある程度、場所が分かれていた
二次創作は昔から巨大な文化だった。
ただ、コミケをはじめとする同人文化には、
「この作品が好きな人たちが、その作品を題材に創作して遊ぶ」
という文脈があった。
もちろん同人には一次創作もある。
しかし少なくとも、
ファン活動としての二次創作
という場所が比較的分かりやすかった。
SNSはそれを全部一つのタイムラインへ放り込んだ。
一次創作。
二次創作。
公式コンテンツ。
ミーム。
転載。
ニュース。
広告。
全部が同じ「インプレッション」で競争する。
そうすると既に認知を持っているものが強い。
そして数字が可視化される。
オリジナルキャラクターを描く。
200いいね。
人気キャラクターを描く。
2万いいね。
これを何度も経験すれば、制作者がどちらへ向かうかは簡単に予想できる。
オリジナルを作るために、まず他人のIPで有名になる
ここまで来ると妙な逆転が起きる。
本来なら、
一次創作
→ 発見される
→ 人気になる
→ IPになる
→ 二次創作が生まれる
という順番だったはずだ。
ところがSNSでは、
二次創作
→ 数字を獲得
→ フォロワー獲得
→ 作者として認知
→ 商業から発見される
→ オリジナル作品を任される
という経路が成立する。
もちろん全員がそうではない。
しかし、
「オリジナルを作るための信用を、まず既存IPを使って獲得する」
という構造が生まれてしまう。
では、最初から一次創作をしている人はどこで発見されるのだろう。
新人賞?
コンテスト?
公募?
そこでは確かにオリジナル作品が審査される。
しかし、それも純粋なオリジナリティコンテストではない。
完成度。
商品性。
テーマへの適合。
既存市場との接続性。
審査員の価値観。
当然いろいろな要素が評価される。
「今まで見たことがない」
ことそのものを評価する場所は、考えてみると意外なほど少ない。
「AIがオリジナルを殺す」の、その前に
そして生成AIが登場した。
反AIの議論でよく聞く懸念がある。
AIが既存作品を学習する。
大量の類似作品を生成する。
人間の創作者が報われなくなる。
オリジナルを作る人が減る。
文化の源泉が枯れる。
この懸念自体は理解できる。
ただ、一つ引っかかる。
その問題、AIが来る前から始まってなかったか?
「一次創作は伸びない」
という言葉を、私たちはずっと許容してきた。
一次創作をする。
知られていないから反応されない。
反応されないから推薦されない。
推薦されないから知られない。
一方、
既知IPを使う。
すぐ認識される。
反応される。
推薦される。
さらに反応される。
つまり長い間、
新しい源泉を作る行為より、既存の源泉を利用する行為の方が報われやすい
という市場を作っていた。
それなのにAIが登場した瞬間、
「このままではオリジナルを作る人がいなくなる」
と言い始める。
いや。
まず、その前から一次創作が報われない構造を作ってなかったか。
AIは問題を作ったのではなく、限界まで加速した
生成AIによって決定的に変わったのは、模倣や量産のコストだ。
人間だけなら流行をコピーするにも時間が必要だった。
AIなら猛烈な速度でできる。
伸びる構図。
伸びるフック。
伸びる動画形式。
人気の画風。
人気のテーマ。
成功パターンが見つかれば、それを大量に生成できる。
つまりAIは、
「既にウケているものを参考にして作りましょう」
というSNSが長年推奨してきた戦略を、恐ろしく忠実に実行できる機械でもある。
そして当然、供給過剰になる。
同じようなものが並ぶ。
さらに強いフックが必要になる。
さらに投稿頻度を上げる。
さらに刺激を強くする。
これは創作論というより、普通の過当競争だ。
全員が「売れるもの」を作った結果、売れなくなる
ここが一番皮肉だ。
長い間、
「自分の作りたいものだけ作っても売れない」
と言われてきた。
市場を見ろ。
流行を研究しろ。
成功例を分析しろ。
伸びている人を参考にしろ。
アルゴリズムを理解しろ。
それぞれ個人の戦略としては合理的だった。
でも全員が同じことをすればどうなるのか。
全員が市場を見る。
すると誰も市場に新しいものを供給しなくなる。
ヒット商品をコピーする。
競合もコピーする。
さらに競合が入ってくる。
供給過剰になる。
差別化できなくなる。
そして売れなくなる。
普通の商品市場なら、
ダンピングと過当競争
と呼ばれるような状態だ。
SNSでは価格の代わりに、アテンションを奪い合っているだけである。
オリジナリティは美学ではなく、希少資源だった
だから今になって「Original Content」が重要になるのは面白い。
別に創作者を守りたいからでなくてもいい。
単純に、
同じものしか流れてこない市場は商品価値がない。
TikTokでも見た。
YouTubeでも見た。
Instagramでも見た。
Xでも同じものを見る。
それなら、そのプラットフォームでなければならない理由がなくなる。
オリジナリティは、
「芸術家がこだわる面倒な美学」
ではなかった。
市場を差別化するための資源だった。
そして、その資源を作っているのが一次創作だった。
「一次創作は伸びない」を許容してはいけなかった
一次創作がすべて優れているわけではない。
新しければ良いわけでもない。
誰にも理解されない作品も当然ある。
だから必要なのは、
オリジナルだから無条件に評価することではない。
必要なのは、
評価される機会を与えることだ。
まだ誰も知らない。
だから反応がない。
だから配信しない。
これでは永遠に発見されない。
本来、推薦システムがやるべきなのは、
「既に人気のものをもっと人気にする」
だけではなく、
「まだ人気かどうか分からないものを、人間に見せて確かめる」
ことだったのではないだろうか。
人気と発見は違う。
そして新しい文化を作るには、後者が必要になる。
「一次創作は伸びない」
あまりにも普通に使われてきた言葉だけれど、よく考えると恐ろしい。
それは、
文化の源泉を作る行為には市場価値がありません
と言っているのとかなり近い。
源泉を冷遇して、既存作品の利用と模倣を最適化して、AIによってその速度が限界まで上がった。
そして今になって、
「オリジナルコンテンツが必要だ」
となる。
だとしたら、これはAIが創作を壊したというより、
創作市場が長年無視してきた矛盾を、AIが猛烈な速度で露呈させた
という話なのかもしれない。
「一次創作は流行らない」
そんなパワーワードを当たり前として受け入れてきた時点で、実はもう警報は鳴っていたのである。
