SNS論でのみ「ドーパミン刺激」が語られて、全体構造を見失ってないか?
最近、「ショート動画はドーパミンを刺激する」「SNSは脳をハックする」という言説をよく見る。
もちろん、通知や短尺動画、スクロール設計が人間の反応を引き出すよう作られているのは事実だろう。
だが、そこでいつも違和感がある。
なぜ“SNSだけ”がドーパミン論で語られるのか?
■ 「ドーパミン」という便利すぎる言葉
最近の説明は、何でもかんでもドーパミンで説明しがちだ。
ショート動画
ソシャゲ
通知
スクロール
再生数
いいね
これらはすべて「脳の報酬系を刺激する」と言われる。
だが、その説明は本当に“構造”を説明しているのだろうか?
例えば、昔の社会はどうだったのか。
よく言われる。
「昔は家や車という長期目標があった」
だが、それは本当に“ドーパミンではなかった”のか?
■ 家や車は「快楽」だったのか?
ここで一つ違和感がある。
家や車を買うことは、本当に酒やギャンブルのような“快楽刺激”だったのだろうか。
むしろ実際には、
安定
所属
将来保証
社会的信用
大人としての認証
「普通の人生」への接続
といった意味合いの方が強かったはずだ。
しかも当時の家や車は、多くがローン前提だった。
つまり、
「快楽を得る」
というより、
「未来の労働を担保に、社会構造へ接続する」
行為に近い。
それは酒やタバコのような“短期刺激”とはかなり違う。
むしろ、
安定を得るための構造
だった。
■ 問題はSNSではなく「短期化」
だから本質は、
「SNSが人間を壊した」
ではない。
むしろ、
社会全体が短期最適化へ寄った
ことの方が大きい。
例えば現代は、
KPI
即時成果
四半期利益
CTR
再生数
エンゲージメント
など、“短期で測定できるもの”が強くなっている。
すると当然、
強刺激
即反応
射幸性
可視化数値
が有利になる。
だがこれは、SNSだけの話ではない。
パチンコ
バブル経済
過剰広告
ワイドショー
金融投機
など、短期刺激を利用した構造は昔から存在していた。
つまり問題は、
「SNSだからドーパミン化した」
ではなく、
「社会全体が短期化した結果、強刺激が優位になった」
ということではないか。
■ 「ドーパミン論」で構造を消していないか?
“ドーパミン”という言葉は便利だ。
便利だからこそ、
制度
雇用
家族
地域
教育
共同体
長期保証
といった、本来社会を支えていた構造を消してしまいやすい。
すると問題は単純化される。
「SNSが悪い」
「人間が依存症になった」
だが実際には、
長期インセンティブを維持できなくなった社会
そのものの問題ではないのか。
SNSだけを悪者にしても、
短期化した社会構造そのものを見失えば、
また別の媒体で同じことが繰り返されるだけだと思う。
