クオリティの高さ、という言葉が一番雑な理由
「クオリティが高いですね」
この言葉、褒め言葉として使われることが多いけど、
実はかなり雑で、危険な言葉だと思っている。
なぜなら
クオリティとは“性質”ではなく“認められた価値”だから。
クオリティは測れない
まず整理すると、
• 音程が安定している
• 演奏が正確
• ミックスが整っている
こういうものは測れる。
これは「品質」だ。
でも「クオリティが高い」という評価は、必ず 基準 を必要とする。
その基準は何かというと、
• その時代の流行
• その界隈の美意識
• プラットフォームの都合
• 評価者の好み
• 売れるかどうか
つまり外側にあるもの。
クオリティは作品の中に元から入っているものではなく、あとから貼られるラベルだ。
子供の絵に「クオリティ低い」と言わない理由
分かりやすい例がある。
子供の描いた絵を見て、人はこう言う。
• 面白い
• 発想が自由
• 楽しい
• 独創的
ほぼ誰も「クオリティ低いね」なんて言わない。
もし本気でそう言う大人がいたら、たぶん「ちょっとおかしい人」扱いされる。
これは子供の絵が劣っているからじゃない。
評価フェーズが違うからだ。
試行錯誤の段階にいる表現に、完成度や市場価値の基準を当てはめること自体ズレている。
大人の創作だけが異常に即査定される
インターネット以降、このフェーズ分けが壊れた。
• 始めたばかりの作品
• 実験段階の表現
• 未完成の試作
これらが、
• プロの完成品
• 商業作品
• 上澄みの成功例
と同じ棚に並ぶ。
そしてすぐ「クオリティが〜」という言葉が飛んでくる。
これ、子供の絵に点数をつけるのと同じくらい不自然なことを大人にだけやっている状態だ。
クオリティは後から付く
歴史を見れば分かる。
• 名作
• 傑作
• レジェンド
と呼ばれるものは、最初から「クオリティが高い」と言われていたわけじゃない。
残ったから、
語り継がれたから、
都合よく整理されたから、
クオリティが高く見えているだけ。
これは名作フィルターと同じ構造だ。
クオリティを目標にすると、だいたい折れる
創作初期に必要なのは、
• クオリティ評価
• 正解探し
• 他人との比較
じゃない。
必要なのは、
• 面白い
• 楽しい
• もう一回やってみたい
このレベルの動機。
クオリティを目標にした瞬間、表現は私語ではなく審査になる。
それで折れるのは、才能がないからじゃない。
フェーズを飛ばされたからだ。
結論
• クオリティは絶対値ではない
• 品質は磨ける
• クオリティは社会が決める
• 創作の初期にクオリティを問うのはフェーズ違い
子供の絵を楽しめる感覚を、大人の創作から消してしまった社会の方がよほど歪んでいる。
「クオリティが高いですね」
そう言われたら、「今の基準には合ってたんだな」くらいに受け取ればいい。
それ以上でも、それ以下でもない。
