老害とは何か──自己OSと構造OSのズレから考える
はじめに
「老害」という言葉は、今や日常的に聞かれるようになった。
だが、それは本当に「年齢」だけの問題なのだろうか?
本稿では、自己OSと構造OSという視点から、老害現象の本質を考察していく。
老害現象の正体
若い頃、人は自己OS──自分自身の感覚、問い、思考の履歴──を頼りに世界と接続しようとする。
だが、社会に適応し、成功体験を積み重ねるうちに、次第に「社会構造(構造OS)」に合わせることが当然になっていく。
構造OSとは、時代ごとに形成されるルール、常識、空気感だ。
この構造OSに順応することは生存戦略としては正しかった。
しかし──
いつしか、自己OSを更新することをやめ、「構造OS=自分だ」と錯覚しはじめる。
それが、老害現象の発火点だ。
自己OSと構造OSの関係
本来、自己OSは、世界と接続し、問い直し、再構築され続けるべき存在だ。
構造OSは変わる。時代とともに、常識は常に書き換えられていく。
にもかかわらず、自己OSを止めた人間は、古い構造OSを「絶対の正しさ」として他者に押し付ける。
老害とは、
**「世界の流動性を認識できず、自らを更新しない存在」**だ。
なぜ防ぐのが難しいのか
成功体験は強力な「自己正当化装置」になる。
一度「これが正しい」と信じたものを疑い直すことは、非常に大きな痛みを伴う。
だから、人は無意識に自己OSを停止し、変化を拒絶する。
プライドが、再起動を阻む。
若者の老害化現象
今、「若者の老害化」も指摘されるようになった。
それは当然だ。
年齢は関係ない。
自己OSを止め、外部構造に思考を全面的に委ねた瞬間、人は年齢を問わず老害化する。
若いから新しいのではない。
自己OSを動かしているかどうか──
それだけが、老害化を分ける。
感性が若いということ
「あの人は感性が若い」と言われるとき、
それは単に流行を追っているという意味ではない。
世界に新しい問いを持てるか
自己OSを再起動し続けているか
世界との接続を諦めていないか
それが、「感性の若さ」の正体だ。
思考が死んでいない。
それが、人間の若さだ。
おわりに
老害とは、自己OSの死亡宣告である。
だが、思考を止めない限り、
人はいつだって自己を再起動できる。
老害にならないために必要なのは、
「変わる」ことではない。
問い直し続けることだ。
