真似と模倣は本当に同じなのか
辞書を引けば、「真似」と「模倣」はほぼ同義語として扱われる。
しかし、私はどこか違和感がある。
「真似」は、
真に似る
と読める。
一方、「模倣」は、
模(型)に倣う
と読める。
もちろん、これは語源学的な説明ではない。
しかし、漢字の持つ意味として考えると非常に示唆的である。
模倣は形を受け継ぐ
模倣とは、
「こうやれと言われたからやる」
「みんながやっているからやる」
という行為である。
そこには理由が存在しない。
マニュアルだけが存在する。
だから環境が変わると機能しない。
真似は意味を受け継ぐ
真似とは、
「なぜその人はそうしたのか」
を理解しようとする行為である。
受け継ぐのは形ではない。
目的であり、思想であり、判断基準である。
だから状況が変わっても応用できる。
盂方水方という教え
「盂方水方」は、
器が四角ければ水も四角くなり、丸ければ丸くなるという故事である。
一般には、
「上に立つ者が模範となれば、下もそれに従う」
という意味で使われる。
しかし、それだけでは危険だ。
もし部下が形だけを追えば、それは真似ではない。
ただの模倣である。
真似られる立場にある者の責任
真似られる立場にある者は、
「こうしろ」
ではなく、
「なぜこうするのか」
を示さなければならない。
意味のない規範は模倣を生む。
意味のある規範だけが真似を生む。
終わりに
私はこう考える。
模倣は形を継ぐ。
真似は意味を継ぐ。
人は行動を真似るべきではない。
その行動が生まれた理由を真似るべきなのである。
