「優れている」と「新しい」は同じ軸で測れるのか
最近ずっと引っかかっていたことがある。
作品を見たときに、人はよくこう言う。
「新しくて優れている」
「独創性もあって技術も高い」
一見すると自然な褒め言葉に見える。
でも考えれば考えるほど、この言い方には違和感が残る。
なぜなら、「優れている」と「新しい」は、そもそも同じ評価軸に乗らないからだ。
優れているとは何か
まず、「優れている」という言葉自体がかなり曖昧だ。
しかし構造として見れば、これは比較語である。
何か既に存在する基準に対して、
技術的に上手い
完成度が高い
破綻がない
洗練されている
そうした評価が後から与えられるラベルだ。
つまり「優れている」とは、既存の評価軸の中で上位に位置づけられた状態を指す。
これは本質ではなく、あくまで社会的なラベリングである。
評価されて初めて「優れている」が成立する。
認知される前から優れている、という言い方に違和感があったのはここにある。
新しいとは何か
一方で「新しい」はまったく別の概念だ。
新しさとは、既存の基準からズレていることに近い。
比較可能な順位づけではなく、
「見たことがない」
「今までの文法に収まらない」
「まだ名前がついていない」
という差異の発生である。
つまり新しさは、既存の評価系の外側に生じる。
この時点では、まだ「優れている / 劣っている」という言葉すら成立しない。
ただズレている。
ただ異物として存在している。
だから新しいものはしばしば荒削りに見える。
むしろ荒削りだからこそ新しい。
同じ軸に入れた瞬間に意味が崩れる
ここで問題になるのが、賞やレビューでよくある採点だ。
技術力
完成度
独創性
新規性
これらを同じ点数表に並べてしまう。
しかしこれは本来、向きの違う軸を一列に押し込んでいる。
優れているとは、既存軸への収束。
新しいとは、既存軸からの逸脱。
収束と逸脱を同じ採点表で比較した時点で、構造的にはかなりねじれている。
だから「新しくて優れている」という言葉に、どこか違和感が残る。
賞とは何か
ここで賞の意味も見えてくる。
賞とは、新しさをそのまま認める制度ではない。
新しさを既存の評価軸に回収し、点数化し、順位づけする装置だ。
つまり、異物を既存に取り込む制度である。
だから賞を与えられた時点で、その作品はすでに既存化されている。
本当に新しいものは、最初は理解不能で、採点すらしづらい。
新しさは優秀さの外にある
結局のところ、
優れている = 評価後のラベル
新しい = 評価前のズレ
この二つは別の層にある。
だからこそ、作品において本当に面白いのは、
「優れている」と言われる瞬間ではなく、
まだ言葉が追いついていない揺らぎの方なのかもしれない。
