失われた個人ランキング文化について
最近、ランキングを見てもあまりワクワクしなくなった。
「1位だからすごい」と言われても、正直あまりピンとこない。
昔は、ランキングそのものよりも**「誰が選んでいるか」**を見るのが楽しかった気がする。
個人ランキング文化って何だったのか
個人ランキング文化というのは、単に作品を順位づけすることではなかった。
そこにあったのは評価基準の可視化だったと思う。
この人は技術を見る
この人は世界観を見る
この人は意味不明さを愛でる
この人は深夜テンションに弱い
点数よりも、「この人はこういう目で見ている」という視点そのものが面白かった。
ランキングは作品を並べるものというより、感性を展示するものだった。
ニコニコだけじゃなく、YouTubeにもあった
この文化は、ニコニコ動画だけのものではなかった。
昔のYouTubeにも、確かにあった。
再生リストは「この人の趣味帳」だった
チャンネル登録は「この人の審美眼を信頼する」という行為だった
関連動画はカオスで、そこから偶然の出会いが生まれた
「何が流行っているか」より、「誰がこれを面白がっているか」を辿る楽しさがあった。
公式が正解を提示していたわけではない。
人の感性が、そのまま前に出ていた。
今は何が変わったのか
今もランキングは存在する。
でも、意味合いはかなり変わった。
昔は
点数は遊び
ランキングは会話
選ぶ主体は人
だったのが、今は
点数は成績
ランキングは正解
選ぶ主体はシステム
になっているように感じる。
おすすめ欄は便利だし、精度も高い。
でも、そこに**「誰の感性なのか」**は見えない。
平均化された判断は、間違いにくい代わりに驚きも少ない。
「この人の感性が集めたランキング」が消えた
一番寂しいのは、ここだと思う。
この人の感性が集めたランキング
というものが、表舞台から消えてしまった。
もちろん、完全になくなったわけではない。
個人プレイリスト
note やブログのレビュー
小さなコミュニティのおすすめ
は、今も確かに存在している。
でも、それらは点在していて、横断されにくく、公式の数字の前ではとても小さい。
結果として、文化として見えなくなった。
個人ランキング文化は死んだのではなく、不可視化されたのだと思う。
ランキングはノードとして繋がっていた
昔のランキング文化が強かった理由は、単に「人が選んでいた」からではない。
ランキングそのものが再利用されていたからだと思う。
誰かが作ったランキングは、それで終わりではなかった。
別の人が参照する
そこから派生ランキングが生まれる
「これが抜けている」と補完される
対抗軸が提示される
ランキングは完成品ではなく、次のランキングを生む素材だった。
作品と評価、
評価と評価者、
評価者同士が
ノードのように繋がっていく。
検索すれば辿れたし、芋づる式に文脈が広がった。
だからランキングは「答え」ではなく、会話の途中だった。
今のランキングは、最初から完成形として提示される。
参照も派生も想定されていない。
結果として、評価が繋がらず、文化が育たない。
個人ランキング文化が楽しかったのは、人の感性が、別の人の地図になっていたからだと思う。
これは懐古厨の話なのか
「昔は良かった」という話に聞こえるかもしれない。
でも、言いたいのはそこじゃない。
便利さが悪いわけでも、公式ランキングが悪いわけでもない。
ただ、自分の基準で選ぶ楽しさが感じにくくなっただけだ。
選んでいるつもりで、実は選ばされている。
その違和感を、うまく言葉にできない人も多いんじゃないかと思う。
おわりに
また、「この人の感性で選びたい」と思える場所が増えたらいいな、と思う。
ランキングがあってもいい。
点数があってもいい。
ただ、それが唯一の言語になってしまうのは、少しつまらない。
懐古厨と言われてもいい。
自分の基準で、迷いながら選ぶ時間が、僕は好きだった。
