失われた個人ランキング文化について

最近、ランキングを見てもあまりワクワクしなくなった。
「1位だからすごい」と言われても、正直あまりピンとこない。

昔は、ランキングそのものよりも**「誰が選んでいるか」**を見るのが楽しかった気がする。


個人ランキング文化って何だったのか

個人ランキング文化というのは、単に作品を順位づけすることではなかった。

そこにあったのは評価基準の可視化だったと思う。

  • この人は技術を見る

  • この人は世界観を見る

  • この人は意味不明さを愛でる

  • この人は深夜テンションに弱い

点数よりも、「この人はこういう目で見ている」という視点そのものが面白かった。

ランキングは作品を並べるものというより、感性を展示するものだった。

ニコニコだけじゃなく、YouTubeにもあった

この文化は、ニコニコ動画だけのものではなかった。

昔のYouTubeにも、確かにあった。

  • 再生リストは「この人の趣味帳」だった

  • チャンネル登録は「この人の審美眼を信頼する」という行為だった

  • 関連動画はカオスで、そこから偶然の出会いが生まれた

「何が流行っているか」より、「誰がこれを面白がっているか」を辿る楽しさがあった。

公式が正解を提示していたわけではない。
人の感性が、そのまま前に出ていた。

今は何が変わったのか

今もランキングは存在する。
でも、意味合いはかなり変わった。

昔は

  • 点数は遊び

  • ランキングは会話

  • 選ぶ主体は人

だったのが、今は

  • 点数は成績

  • ランキングは正解

  • 選ぶ主体はシステム

になっているように感じる。

おすすめ欄は便利だし、精度も高い。
でも、そこに**「誰の感性なのか」**は見えない。

平均化された判断は、間違いにくい代わりに驚きも少ない。

「この人の感性が集めたランキング」が消えた

一番寂しいのは、ここだと思う。

この人の感性が集めたランキング

というものが、表舞台から消えてしまった。

もちろん、完全になくなったわけではない。

  • 個人プレイリスト

  • note やブログのレビュー

  • 小さなコミュニティのおすすめ

は、今も確かに存在している。

でも、それらは点在していて、横断されにくく、公式の数字の前ではとても小さい。

結果として、文化として見えなくなった。

個人ランキング文化は死んだのではなく、不可視化されたのだと思う。

ランキングはノードとして繋がっていた

昔のランキング文化が強かった理由は、単に「人が選んでいた」からではない。

ランキングそのものが再利用されていたからだと思う。

誰かが作ったランキングは、それで終わりではなかった。

  • 別の人が参照する

  • そこから派生ランキングが生まれる

  • 「これが抜けている」と補完される

  • 対抗軸が提示される

ランキングは完成品ではなく、次のランキングを生む素材だった。

作品と評価、
評価と評価者、
評価者同士が
ノードのように繋がっていく。

検索すれば辿れたし、芋づる式に文脈が広がった。

だからランキングは「答え」ではなく、会話の途中だった。

今のランキングは、最初から完成形として提示される。

参照も派生も想定されていない。
結果として、評価が繋がらず、文化が育たない。

個人ランキング文化が楽しかったのは、人の感性が、別の人の地図になっていたからだと思う。

これは懐古厨の話なのか

「昔は良かった」という話に聞こえるかもしれない。
でも、言いたいのはそこじゃない。

便利さが悪いわけでも、公式ランキングが悪いわけでもない。

ただ、自分の基準で選ぶ楽しさが感じにくくなっただけだ。

選んでいるつもりで、実は選ばされている。

その違和感を、うまく言葉にできない人も多いんじゃないかと思う。

おわりに

また、「この人の感性で選びたい」と思える場所が増えたらいいな、と思う。

ランキングがあってもいい。
点数があってもいい。

ただ、それが唯一の言語になってしまうのは、少しつまらない。

懐古厨と言われてもいい。
自分の基準で、迷いながら選ぶ時間が、僕は好きだった。

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