マニュアル人間の時代──観察しない社会
最近思うことがある。
世の中は、かなり「マニュアル人間」が増えた。
何か問題が起きたとき、多くの人がまず探すのは
状況でも、構造でもない。
正しい方法だ。
「この場合どうするのが正解なのか」
「一般的にはどうするべきなのか」
「専門家は何と言っているのか」
そうして見つけた“答えらしきもの”を、そのまま適用する。
一見すると合理的な行動に見える。
だが、ここには一つの工程が抜けている。
観察だ。
本来、問題を考えるときの順序はこうなるはずだ。
状況を見る。
構造を理解する。
その上で方法を決める。
つまり方法とは、本来「結果」であって「前提」ではない。
しかし現代社会では、この順序が逆転している。
問題
↓
正しい方法を探す
↓
それを適用する
このやり方は効率的だ。
なにより、考えなくて済む。
マニュアルには大きな利点がある。
判断の負担を減らしてくれる。
他人と共有しやすい。
そして何より、責任を回避できる。
「自分で決めたわけではない。
マニュアルに従っただけだ」
そう言えるからだ。
社会の多くのシステムは、この構造で動いている。
学校。
会社。
行政。
SNSの議論ですらそうだ。
一律のルールの方が、圧倒的に扱いやすい。
だが、この思考が強くなるほど、あるものが消えていく。
個体差だ。
人間は同じではない。
状況も同じではない。
それでもマニュアル思考は、そこを切り落とす。
教育でも、医療でも、育児でも同じことが起きる。
「正しい方法」が提示され、
それがあたかも万能の解答のように扱われる。
しかし現実はそんなに単純ではない。
同じ方法でも、
人によって結果は大きく変わる。
だから本来必要なのは、
正解を探すことではない。
観察することだ。
目の前の状況を見て、
何が起きているのかを理解し、
そこから方法を作る。
しかしこの考え方は、よくこう言われる。
「それは理想論だ」
理由は単純だ。
マニュアル社会では、
マニュアルから外れる思考そのものが非現実的に見えるからだ。
私はどちらかというと、観察型の思考をするタイプだ。
まず状況を見る。
そこから構造を考え、方法を決める。
だがこのやり方は、しばしば「効率が悪い」と言われる。
正解を探す方が早いからだ。
確かにその通りだと思う。
ただし、それは世界が単純な場合に限る。
現実は、そんなに単純ではない。
だからこそ本来、
観察する人間が必要になる。
マニュアルは便利だ。
だがマニュアルは、現実を単純化するための道具にすぎない。
もしマニュアルだけで世界が動くなら、
観察する人間は必要ない。
しかし実際の世界は、
そんなにきれいにはできていない。
だから私は、
正解を探すよりも、
まず観察することを選びたい。
