タイトルが作品のフィルターになっていることに、思っている以上に多くの人は気がついていない
作品のタイトルは、ただの名前だと思われがちだ。
けれど実際には、タイトルは名前である以前に、読者を選別するフィルターとして機能している。
ここに気がついていない人は、思っている以上に多いように思う。
タイトルは「読むかどうか」の分岐点
読者は作品の中身を読む前に、まずタイトルを見る。
そして、その数秒でほぼ無意識にこう判断している。
自分が読みたい系統か
またよくある話か
興味があるテーマか
すでに飽きているジャンルか
つまり、タイトルの時点で
読む / 読まない
がかなりの割合で決まっている。
中身に到達する前に、すでに選別は始まっている。
「テンプレかどうか」は中身の話ではない
よく、
テンプレでも面白く書ける
テンプレを批判するのは浅い
という話を見かける。
もちろんそれ自体は間違っていない。
けれど、その議論は少しズレている。
問題は中身がテンプレかどうかではなく、タイトルの時点でテンプレと認識されることによって、読者層が既に絞られていることにある。
たとえばタイトルにある語句が入った瞬間、
令嬢
追放
転生
最強
読者は無意識に作品を棚に入れる。
この時点で、その系統を好む層は入ってくる。
逆に、その系統を避ける層はここで離脱する。
中身が実際に独創的かどうかは、その後の話だ。
そもそも中に入ってもらえなければ、独創性は伝わらない。
作者は中身を知っている。読者は知らない
ここで起きやすいズレがある。
作者は作品の中身を知っている。
だから、このタイトルにはこういう意味がある
実際にはテンプレではないと思う。
けれど読者は中身を知らない。
見えているのはタイトルだけだ。
だからタイトルの印象がそのまま作品全体の印象になる。
ここに、作者側が思っている以上に大きな認知の断絶がある。
タイトルは名前ではなく、入口設計になっている
本来タイトルは、作品に名前を与える行為だった。
テーマや象徴、世界観を込めるものでもあった。
けれど、Web媒体や一覧型のプラットフォームでは、タイトルは作品名というより
読者を入口で選別する設計になっている。
つまりタイトルは、作品そのものではなく、誰を入れて、誰を入れないかを決めるフィルターになっている。
ここに気がついていないと、中身は良いのに読まれないという現象の理由を見誤りやすい。
結局、タイトルは最初のアルゴリズムである
タイトルは単なるラベルではない。
読者の認知を起動し、過去の記憶と結びつけ、読む前に作品を分類させる。
ある意味で、作品にとって最初のアルゴリズムだ。
中身より先に、読者はタイトルによって作品を理解したつもりになる。
だからこそ、タイトルは思っている以上に強いフィルターとして働いている。
ここに気がついていない人は、思っている以上に多い。
