狂気は創造の原因ではない
― 演出された狂気が生む評価システムの誤作動
世の中ではよくこう言われる。
「成功する人は狂っている」
確かに歴史を見れば、常識から外れた人物が革新を生んできた例は多い。
起業家
研究者
芸術家
彼らの行動は社会の平均的な行動から見ると確かに狂気に見える。
しかしここで一つの誤解が生まれている。
狂気が創造を生んだわけではない。
創造の結果として狂気と呼ばれただけだ。
創造の正体
創造の現場で起きていることは狂気ではない。
むしろ極めて単純な構造だ。
執着
試行錯誤
長時間の反復
社会基準からの逸脱
研究でも開発でも実際に起きているのはほとんどこの組み合わせである。
しかし外部から見るとこの過程は理解されにくい。
なぜなら成果が出るまで意味がわからないからだ。
その結果、社会はこの理解不能な状態に一つのラベルを貼る。
「狂気」
社会が起こす短絡
ここで社会は構造的な短絡を起こす。
本来の構造はこうだ。
創造
↓
結果
↓
狂気と呼ばれる
つまり狂気は原因ではなく結果に対するラベルである。
しかし社会はこの構造を次のように誤解する。
狂気
↓
創造
この瞬間原因と結果が逆転する。
狂気のテンプレート化
原因と結果が逆転すると次の現象が起きる。
狂気が創造者の特徴ではなく創造者の条件として扱われる。
するとどうなるか。
人は狂気を演出し始める。
奇抜な発言
過激な行動
常識外れのキャラクター
こうして「狂人キャラ」が量産される。
しかしここには決定的な問題がある。
狂気を演出しても創造は生まれない。
評価システムの誤作動
この状態になると社会の評価システムは次のように変化する。
本来の評価構造
創造
↓
成果
↓
評価
しかし演出狂気が広がるとこうなる。
狂気を演出
↓
創造者として扱われる
つまり
創造を経由せずに評価が発生する。
これはいわば
評価OSのバグである。
その後に起きる不具合
この誤作動が広がると
社会にはいくつかの現象が現れる。
まず
創造のない狂気が増える。
次に
評価がノイズ化する。
そして最終的には
本物の創造が見えにくくなる。
なぜなら
演出された狂気は
非常に目立つからだ。
結果として
社会は
派手な狂気を評価し
静かな創造を見落とす。
本物の狂気は静かである
実際の創造現場にあるものは演出された狂気ではない。
むしろ逆だ。
それは
長時間の反復
地味な試行錯誤
小さな改良の積み重ね
外から見ると理解されにくい行動である。
しかしそこには一つの特徴がある。
演出がない。
ただ作り続けているだけだ。
狂気は条件ではない
狂気は創造の条件ではない。
創造の過程が外部から狂気に見えるだけだ。
狂気を演出しても創造は生まれない。
そしてもし社会が狂気の演出ばかりを評価するならその社会の評価システムはすでに誤作動を起こしている。
