アングラと市場の境界が曖昧な日本文化の弊害
なんとなく感じてる違和感がある。
日本の創作環境って、何かがおかしい。
作品そのものじゃなくて、「扱われ方」の方。
よく「日本は何でもあり」とか「自由な文化」とか言われるけど、あれはかなり雑な説明だと思っている。
問題は自由さではなく、境界の曖昧さにある。
境界が曖昧だと何が起きるのか
本来、創作にはいくつかの層がある。
商業(市場)
同人(コミュニティ)
アングラ(限定領域)
それぞれ本来は評価軸もルールも違う。
しかし日本ではこれらがほぼ連続している。
同人と商業が混ざり、趣味と仕事が混ざり、アングラと表が繋がっている。
この状態だと何が起きるか。
評価基準が作れなくなる。
評価基準が消えるとどうなるか
基準がないと、人はどう評価するか。
関係性で評価するようになる。
フォロワーが多いからすごい
仲がいいから褒める
空気的に良いと言う
いわゆる「馴れ合い」に見える現象は、性格の問題ではない。
構造的にそうならざるを得ない。
一番割を食うのは誰か
ここで一番影響を受けるのは
「作品で勝負したい人」
精度で見てほしい
構造で評価してほしい
内容で判断してほしい
こういう人ほど評価されにくくなる。
なぜなら、今の場は「市場」ではなく「コミュニティ」だから。
擬人化・女性化の話
この構造は、擬人化文化を見るとよく分かる。
艦船、歴史、概念など、あらゆるものがキャラクター化される。
よく「日本特有」と言われるが、擬人化自体は海外にも存在する。
問題はそこではない。
どの文脈で出ているかだ。
本来こうした表現は
文脈依存
限定されたコミュニティ
ある種のアングラ領域
に置かれることが多い。
しかし日本では
アングラと表の境界が曖昧なため
同じ文脈で消費される。
象徴と消費の混線
ここで起きているのは
意味のある擬人化と、消費のための擬人化の混在である。
例えば「船の女性性」は本来
畏怖
神秘
制御できない存在
という文脈を持っている。
しかし現代のキャラクター化では
属性
好感度
所有
という形に置き換えられる。
見た目は同じでも中身は別物である。
象徴がキャラクターに変換されている。
文化ではなくミーム化
さらに二次創作が広がると
意味が剥がれていく。
設定改変
性癖特化
文脈無視
これは文化の発展というより
ミームの増殖に近い。
日本が特殊なのか
結論として、内容が特殊なのではない。
出し方が特殊である。
海外にも同様の表現は存在するが
アングラはアングラに留まる
表に出ると規制される
といった形で境界が明確に管理されている。
日本は逆に
境界が曖昧なまま拡張する。
問題の本質
これは文化の問題ではなく
境界管理の問題である。
境界が曖昧
評価基準が消える
関係性評価になる
実力と評価がズレる
という流れが発生している。
ではどうするか
選択肢はシンプルである。
コミュニティとして楽しむ
市場として勝負する
割り切る
重要なのは、自分がどの土俵にいるかを理解することだ。
終わりに
「日本は何でもやる文化」ではない。
境界を曖昧にしたまま回している文化である。
そしてその結果
意味より消費が前に出ている。
違和感があるのは自然なことだと思う。
それは文化ではなく、構造の問題だからである。
