「当事者意識を持て」と言う前に、あなたは何を任せているのか

現代の経営やマネジメントで、頻繁に使われる言葉がある。
「当事者意識を持って仕事をしてほしい」

一見すると、前向きで立派な要求に聞こえる。
だが、この言葉が使われる現場をよく見てみると、
どう考えてもおかしな状況が多い。

なぜなら、多くの場合それは
湯を沸かす担当者に「当事者意識を持て」と言っているからだ。


湯沸かし担当者に、何を求めているのか

想像してほしい。

  • どの鍋を使うかは決まっている

  • 火加減は指示通り

  • 水の量もマニュアル通り

  • 沸かすタイミングも決まっている

その人の仕事は、「指示された通りにお湯を沸かすこと」だけ。

にもかかわらず、
料理がまずかった
提供が遅れた
クレームが来た
売上が落ちた

こうなると、上からこう言われる。

「もっと当事者意識を持ってくれ」

冷静に考えてほしい。
この人は、何の当事者なのか?


当事者とは、本来「決める人」のことだ

当事者とは、

  • 何を作るかを決める

  • どう作るかを決める

  • 変える判断ができる

  • その結果を引き受ける

この立場にいる人のことだ。

湯沸かし担当者は、

  • メニューを決めていない

  • 価格を決めていない

  • 提供方法も決めていない

  • 改善提案は「余計なこと」と言われる

それでも結果が悪ければ、意識の問題にされる。

これは当事者意識ではない。
責任のすり替えだ。


「当事者意識を持て」の正体

この言葉が出てくる場面には、共通点がある。

  • 設計が曖昧

  • 責任範囲が不明確

  • KPIだけが存在している

  • 上が判断したくない

本来やるべきことは、

  • 設計を見直す

  • 決定権の所在を明確にする

  • 因果関係を整理する

それを放棄した結果、最後に出てくるのがこの言葉だ。

「当事者意識を持て」

つまりこれは、

設計できなかったことを、精神論でごまかしているだけ。


当事者意識は「構造の結果」であって、命令ではない

重要な点がある。

当事者意識は、「持て」と言われて生まれるものではない。

  • 決められるから生まれる

  • 変えられるから生まれる

  • 引き受ける覚悟があるから生まれる

構造がなければ、意識は生まれない。

構造を渡さずに意識だけ要求するのは、

  • ハンドルを渡さず

  • アクセルも渡さず

  • ブレーキだけ任せて

  • 「事故るな」と言っている

のと同じだ。


本当に当事者にしたいなら、やることは3つしかない

もし本気で当事者を求めるなら、必要なのはこれだけ。

  • 決定権を渡す

  • 裁量を渡す

  • 失敗の責任は設計側が取る

これをやらない限り、当事者意識を要求する資格はない。

逆に言えば、これを渡した瞬間、その人はもう雇われではない。

個人事業主か、パートナーだ。


雇われに求めていいのは「当事者意識」ではない

雇われに求めていいのは、

  • 契約範囲内の責任

  • 指示された業務の遂行

  • 報告・連絡・相談

それ以上を求めるなら、雇用という形態そのものが破綻している。

「雇われだけど当事者であれ」
という要求は、

因果と契約を意図的に混同している。


結論

現代の多くの経営者は、湯沸かし担当者に向かってこう言っている。

「当事者意識を持て」

だが本当に必要なのは、意識ではなく設計だ。

  • 誰が決めているのか

  • 誰が変えられるのか

  • 誰が責任を取るのか

これを整理せずに、
意識だけを要求するのは、
マネジメントではない。

それはただの責任放棄だ。

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