「当事者意識を持て」と言う前に、あなたは何を任せているのか
現代の経営やマネジメントで、頻繁に使われる言葉がある。
「当事者意識を持って仕事をしてほしい」
一見すると、前向きで立派な要求に聞こえる。
だが、この言葉が使われる現場をよく見てみると、
どう考えてもおかしな状況が多い。
なぜなら、多くの場合それは
湯を沸かす担当者に「当事者意識を持て」と言っているからだ。
湯沸かし担当者に、何を求めているのか
想像してほしい。
どの鍋を使うかは決まっている
火加減は指示通り
水の量もマニュアル通り
沸かすタイミングも決まっている
その人の仕事は、「指示された通りにお湯を沸かすこと」だけ。
にもかかわらず、
料理がまずかった
提供が遅れた
クレームが来た
売上が落ちた
こうなると、上からこう言われる。
「もっと当事者意識を持ってくれ」
冷静に考えてほしい。
この人は、何の当事者なのか?
当事者とは、本来「決める人」のことだ
当事者とは、
何を作るかを決める
どう作るかを決める
変える判断ができる
その結果を引き受ける
この立場にいる人のことだ。
湯沸かし担当者は、
メニューを決めていない
価格を決めていない
提供方法も決めていない
改善提案は「余計なこと」と言われる
それでも結果が悪ければ、意識の問題にされる。
これは当事者意識ではない。
責任のすり替えだ。
「当事者意識を持て」の正体
この言葉が出てくる場面には、共通点がある。
設計が曖昧
責任範囲が不明確
KPIだけが存在している
上が判断したくない
本来やるべきことは、
設計を見直す
決定権の所在を明確にする
因果関係を整理する
それを放棄した結果、最後に出てくるのがこの言葉だ。
「当事者意識を持て」
つまりこれは、
設計できなかったことを、精神論でごまかしているだけ。
当事者意識は「構造の結果」であって、命令ではない
重要な点がある。
当事者意識は、「持て」と言われて生まれるものではない。
決められるから生まれる
変えられるから生まれる
引き受ける覚悟があるから生まれる
構造がなければ、意識は生まれない。
構造を渡さずに意識だけ要求するのは、
ハンドルを渡さず
アクセルも渡さず
ブレーキだけ任せて
「事故るな」と言っている
のと同じだ。
本当に当事者にしたいなら、やることは3つしかない
もし本気で当事者を求めるなら、必要なのはこれだけ。
決定権を渡す
裁量を渡す
失敗の責任は設計側が取る
これをやらない限り、当事者意識を要求する資格はない。
逆に言えば、これを渡した瞬間、その人はもう雇われではない。
個人事業主か、パートナーだ。
雇われに求めていいのは「当事者意識」ではない
雇われに求めていいのは、
契約範囲内の責任
指示された業務の遂行
報告・連絡・相談
それ以上を求めるなら、雇用という形態そのものが破綻している。
「雇われだけど当事者であれ」
という要求は、
因果と契約を意図的に混同している。
結論
現代の多くの経営者は、湯沸かし担当者に向かってこう言っている。
「当事者意識を持て」
だが本当に必要なのは、意識ではなく設計だ。
誰が決めているのか
誰が変えられるのか
誰が責任を取るのか
これを整理せずに、
意識だけを要求するのは、
マネジメントではない。
それはただの責任放棄だ。
