虚無とエコーチェンバー ― 認知と境界の話

虚無という言葉を考えていて、少し面白いことに気付いた。
一般的に虚無というと「何もない状態」や「空虚さ」を指すことが多い。
しかし私の感覚では、虚無とは単に何もないことではなく、
「認知されない状態」
に近い。

存在していても誰にも知られず、見つけられず、接続もされない。
そういう状態を虚無と呼びたくなる。

では、認知されれば虚無は解消されるのだろうか。
実際にはそう単純でもない。
認知されると人は安心する。
同じ考えの人を見つける。
共感できる人と繋がる。
そしてコミュニティが生まれる。
ここまでは自然な流れだ。
しかし今度は別の問題が起こる。
それがエコーチェンバーである。

コミュニティの中にいると、
「ここが世界の全て」
のように感じることがある。
本来は広い世界の一部分でしかないにもかかわらず、認知できる範囲だけで世界を定義してしまう。
これは認知不足ではない。
むしろ認知はされている。
問題は、
境界が認知されていないこと
にある。

認知には二種類あるように思う。
一つは存在の認知。
「あ、お前そこにいたのか」
という認知である。
もう一つは境界の認知。
「ここが私達で、外には別の世界がある」
という認知である。
前者だけだとコミュニティになる。
後者が欠けるとエコーチェンバーになる。

SNSを見ていると、この構造はよく見える。
Xのタイムラインも、Redditのサブレディットも、Discordのコミュニティも、本来は世界の一部に過ぎない。
しかしその内部にいると、そこが世界そのもののように見えてしまう。
それは認知不足ではない。
境界不足である。

では、人が広がるためには何が必要なのだろう。
私は、
認知されながらも境界を持つこと
だと思う。
所属すること自体は悪くない。
安心できる場所も必要だ。
しかし、
「ここが全てではない」
という感覚を失わないことも同じくらい重要である。

虚無は認知されない状態。
エコーチェンバーは認知されているが境界が曖昧な状態。
そして成長や探索は、
認知と境界認識が両立した場所から始まる。
境界が見えるから、その向こう側に興味を持てる。
境界が消えると、世界はそこで閉じてしまう。
もしかすると、人が本当に必要としているのは認知そのものではなく、
認知と境界の両立
なのかもしれない。

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