数年で常識になる時代
「常識は疑え」とよく言われる。
けれど今の時代、本当に疑うべきなのは常識の中身そのものよりも、常識が生成される速度そのものなのではないかと思う。
昔の常識というものは、もっと時間をかけて作られていた。
地域の慣習、家族の在り方、仕事の作法。
それらは親から子へ、世代をまたいで反復される中で、少しずつ社会の共通認識になっていった。
つまり常識とは、本来は長い時間をかけて積み重ねられた生活知だった。
ところが今は違う。
数十年どころか、数年。
下手をすれば数か月で「それが常識」とされる空気が生まれる。
SNSで一つの出来事が起きる。
誰かが強い言葉で断定する。
それに共感や怒りが集まり、反応が連鎖する。
すると気づけば、
「普通はこうだよね」
「常識でしょ」
という空気が出来上がっている。
本当に恐ろしいのは、その速度に人間の経験が追いついていないことだ。
数年で生まれた常識を、まるで昔から存在していた普遍的なルールのように扱ってしまう。
しかも、その常識を作っている人の多くは当事者ではない。
子育ての常識を語る人が、必ずしも子育ての当事者とは限らない。
創作の常識を語る人が、必ずしも創作者とは限らない。
働き方の常識を語る人が、必ずしも現場にいるわけでもない。
当事者の経験から生まれた知恵ではなく、外側から見た印象や感情が短時間で常識化していく。
その結果、社会は「経験知」ではなく、反応速度によって生成された空気に支配されやすくなる。
常識とは、本来時間をかけて磨かれるものだったはずだ。
けれど今は、反応の速さが正しさに見えてしまう。
だからこそ、常識そのものよりも、
「それはいつから常識になったのか」
「誰がそれを常識として語っているのか」
そこを見直す必要があるのだと思う。
数年で常識になる時代。
私たちは、常識の中で生きているというより、加速した空気の中で生きているのかもしれない。
