度徳量力 ― 徳を測り始めたら引退の時
「度徳量力」とは、自らの徳や力量を測り、勝算を見極めて行動することを意味する。
一般には慎重さや冷静さを表す言葉として使われる。
確かに無謀な挑戦を避ける知恵としては正しい。
しかし、この言葉には別の側面もあるように思う。
それは、挑戦者ではなく守護者の思想だということである。
挑戦者は徳を測らない
歴史を動かした人々は、必ずしも勝算があったから動いたわけではない。
新しい国を作る者。
未知の海へ漕ぎ出す者。
誰も信じない技術を作る者。
彼らは自らの徳や力量を完全に把握していたわけではない。
むしろ、
「できるかもしれない」
という可能性に賭けていた。
挑戦者とは、自らの徳を証明するために動く者である。
徳を測ってから動く者ではない。
守護者は徳を測る
一方で、守護者は違う。
組織を守る。
文化を守る。
財産を守る。
権威を守る。
失うものがある。
だから慎重になる。
判断を誤れば多くのものを失うからだ。
度徳量力は本来、こうした守護者の知恵だったのかもしれない。
守護者が前に出る時
問題は守護者が存在することではない。
守護者は必要だ。
文明は守護者なしでは継承できない。
しかし守護者が先頭に立つようになると話は変わる。
「前例はあるか」
「失敗したらどうする」
「評判は落ちないか」
「勝算はあるのか」
こうした問いばかりが増えていく。
その結果、挑戦者は減り、守護者だけが残る。
組織は安定する。
しかし未来も同時に失う。
徳を測り始めたら引退の時
私は度徳量力そのものが悪いとは思わない。
守る立場には必要な能力だからだ。
しかし、自らの徳を測らなければ一歩も踏み出せなくなったなら話は別である。
それは挑戦者ではない。
守護者である。
そして守護者が挑戦者の席に座り続けることこそが停滞を生む。
徳を測ることが目的になった時、人は前進ではなく保全を選ぶ。
だから私は思う。
自らの徳を測らなければ動けなくなったなら、その者は現役を退く時期なのだろう。
守護者として後進を支えるべき時なのだろう。
挑戦者の役割は、次の世代に渡すべきなのである。
