恋愛ソングは「愛」を歌っているのではなく、「愛染」を増幅しているのかもしれない

現代には恋愛ソングが溢れている。
「会いたい。」
「忘れられない。」
「戻ってきて。」
「あなたなしでは生きられない。」
多くの人は、それを「愛」と呼ぶ。

しかし仏教には「愛染」という言葉がある。
愛が執着となり、心を染め、苦しみを生み出す状態である。

恋愛ソングを聴く人は、
「わかる。」
「自分も同じだった。」
と感情を重ねる。

だが、その共感によって相手が救われることはほとんどない。
聴き手は曲が終われば日常へ戻り、
歌の主人公も物語の中で苦しみ続ける。

つまり、
苦しみへの共感は、苦しみの解決ではない。
むしろ何度も再生されることで、
執着は記憶され、
執着は美化され、
執着は増幅される。

恋愛ソングは「愛」を歌っているようで、
「愛染」を繰り返し再生する装置
なのかもしれない。

では、愛染明王とは何なのだろう。
名前だけ見れば「愛染の王」である。
しかし、その役割は執着に浸ることではなく、
煩悩を智慧へ転じること
にあるとされる。

だから明王になるために必要なのは、
「その苦しみに共感してほしい」
と願うことではない。
「なぜ私は苦しいのか。」
「これは愛なのか、それとも執着なのか。」
「この感情は私を自由にしているのか、それとも縛っているのか。」
と、その意味を問い続けることなのかもしれない。

愛に共感し、執着する者ではなく、
愛の意味を問い、執着を見つめ直す者。
そこに、愛染明王という名前が持つ逆説的な思想が隠されているように思う。

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