欲求不満は悪ではない
「欲求不満」という言葉にはどこか否定的な響きがある。
欲しいものが手に入らず苛立っている状態。
我慢できていない状態。
未熟な状態。
そんな印象で使われることが多い。
しかし改めて考えてみると、欲求不満とは本当に悪い状態なのだろうか。
欲求不満とは生きている状態である
欲求不満とは文字通り、
欲求が満たされていない状態である。
だが人間は生きている限り何かを求め続ける。
食欲。
知識欲。
承認欲求。
創造欲。
生存欲求。
どれか一つが満たされても、また次の欲求が生まれる。
むしろ欲求が完全に満たされた状態を想像すると不思議なことに気づく。
何も知りたくない。
何も作りたくない。
何も得たくない。
何も生き続けたいと思わない。
それは生命活動の停止に近い。
つまり欲求不満とは異常状態ではない。
生命活動そのものなのである。
欲を消そうとする発想
古今東西、多くの人が欲望を問題視してきた。
欲が争いを生み、
欲が苦しみを生み、
欲が人を狂わせる。
確かにそれは事実だろう。
しかし問題は欲そのものなのだろうか。
欲がなければ、
文明も発展しない。
芸術も生まれない。
研究も起きない。
人は前へ進まない。
欲を否定することは生命活動そのものを否定することにも繋がる。
問題は欲ではなく因果である
では何が問題なのか。
それは欲ではない。
欲の先にある因果を見ないことである。
金が欲しい。
それは悪ではない。
しかし金を得ることで何を得て何を失うのか。
名声が欲しい。
それも悪ではない。
しかし名声の代償として何が発生するのか。
承認が欲しい。
知識が欲しい。
自由が欲しい。
その全てに因果が存在する。
利益には代償がある。
快楽には負債がある。
自由には責任がある。
問題は欲を持つことではなく、
欲が生む結果を見ないことである。
律するとは欲を消すことではない
現代では律することを我慢や抑圧として捉えがちである。
しかし本来の律するとは、
欲を否定することではない。
欲の因果を理解することである。
この欲を追えば何が起こるのか。
どんな利益があり、
どんな損失があるのか。
それを理解した上で選択する。
それが律するということだ。
結論
欲求不満は悪ではない。
欲求不満とは生命活動そのものである。
人は満たされたから生きるのではない。
満たされないから生き続ける。
そして本当に問うべきは、
欲を持つことではない。
欲が生み出す因果を理解しているかどうかである。
欲を消すことが成熟ではない。
欲の因果を見据えて選択できることこそが成熟なのである。
