種を撒いてる人間は、リアルタイムではゴミを撒いてるように見える
未来から見ると、
「あの時、既に始まっていたんだ」
と言われるものがある。
けれどリアルタイムでは、
それは大抵“意味不明な行動”として扱われる。
なぜなら、
まだ育っていないからだ。
植物を知らない人間が、
土に何かをばら撒いている姿を見たらどう思うだろう。
「何してるんだろう」
「散らかしてるだけでは?」
「意味あるの?」
多分そんな認識になる。
けれど未来側の人間は、
既に植物を知っている。
花が咲いた後を知っている。
果実が実った後を知っている。
だから初めて、
「あれは種だった」
と理解できる。
つまり未来側は、
“結果を知った状態”で過去を見ている。
リアルタイム側は、
“未成立状態”しか見えていない。
この差はかなり大きい。
創作もそうだ。
リアルタイムでは、
ノイズ
多作
意味不明
方向性不明
売れない
何がしたいかわからない
と評価されるものでも、
時間が経つと突然、
文脈として繋がることがある。
「あれ、今起きてることって前から言われてたな」
そんな形で。
未来予測というより、
構造から帰結を見ていた。
ただそれだけ。
けれどリアルタイム社会は、
未成立状態をあまり許容しない。
すぐに意味を求め、
成果を求め、
価値を求める。
今咲いていないなら、
無価値だと判断しやすい。
でも本来、
種というものは未来前提の行為だ。
育つかどうかもわからない。
どれが芽吹くかもわからない。
それでも撒く。
未来側は、
育った植物を見て意味を知る。
リアルタイム側は、
土に落ちた粒しか見えない。
その違いだけなのかもしれない。
